24時間勤務アケで職場から新橋まで散歩。
職場から首都高速都心環状線沿いに東へ進む。
◆一ツ橋
下は日本橋川。
◆錦橋
下は日本橋川。
◆神田橋
下は日本橋川。
多くの堀に囲まれた江戸城には、「三十六見附」と呼ばれるように、道路と堀の交差する場所には敵の進入を防ぐための城門がありました。神田橋門もそのひとつで、外堀(現在の日本橋川)に架かる外郭門で、芝崎口・神田口・大炊殿橋とも呼ばれ、寛永6年(1629)に下野真岡藩主稲葉正勝によって構築されました。特にこの門は、将軍が寛永寺や東照宮に行くための御成道に位置するために、その警備は重要でした。明治5年(1872)に門は取り壊されましたが、地中には城門石垣の一部が残されており、ここに並べた石は工事中に出土した石垣を城門想定位置に配置したものです。
江戸城外堀の石垣
雉子橋から常盤橋までの日本橋川は、かつて江戸城外堀の一画でした。関東大震災や首都高速道路建設による護岸改修によっ、現在その面影はありませんが、錦橋から神田橋間の右岸(南)には昭和期に改修された外堀石垣が点在して残っています。
この石列の下には、江戸時代の石垣が高さ約6m、長さ約100mにわたり地下に保存されています。
続く。