2019/05/26 妙正寺散歩 05 蓮華寺/本天沼南公園/天沼共和会/日大第二中・高等学校/天沼熊野神社/荻窪駅前商店会/荻窪ビール工房

南西方向にある荻窪駅に向かって進む。
荻窪駅北口でお散歩会はお開き。



蓮華寺




 天沼山蓮華寺は、真言宗室生(むろう)寺派に属する寺で、開山は真長(しんちょう)和尚と伝えられます。本尊は如意輪(にょいりん)観世音菩薩(如意輪蓮華峰王(れんげほうおう))です。
 当寺開創の詳細は明らかではありませんが、墓石には板倉周防守から寺地を寄進されたいう記録もあり、開創は室町時代と伝えられています。
 寺伝によれば天和二年(1682)に寂した中興開山鏡薫(きょうくん)和尚の時代に、寺門は大いに興隆したといわれています。
 昭和三十七年に建立された本堂には不動明王坐像と昭和十九年出羽湯殿山から請来した不動明王の立像も安置されています。この不動尊室町時代に作られたもので、「厄除不動」の名で呼ばれて厚く信仰されています。
 当寺には文化財も多く、天沼村関係古文書が所蔵されているほか、阿弥陀馬頭観音石像・宝篋印塔等が境内に安置されています。
 なお、旧本堂は杉並第五小学校の前身である桃野尋常高等小学校の分教場に使用され、多くの人々に親しまれました。堂前にその記念の石碑があります。



天沼分教場跡の碑




蓮華寺所蔵文書



当文書は天沼村(江戸時代は山王日枝神社社領)で副戸長等を勤めた森田家の旧蔵文書で、当寺に寄進されたものです。年代的には、東京府設置から同府における郡区の設置期までの文書が多く、中でも地祖改正関係文書が豊富で、幕府支配から明治政府の支配体制が整えられていく過程をさぐることが出来る行政文書です。社領時代の文書と明治政府成立後の文書により、天沼村の租税関係が、どのように変化したかを知ることが出来る貴重な資料でもあります。



蓮華寺弁財天堂





山門







本天沼南公園








 本天沼公園西側の土地は、かつてこの土地に住まわれていた井上宇市氏(工学博士 現代建築設備設計の先駆者)のご厚意により、平成22年4月に寄贈を受けたもので、様々な世代の方が憩える公園として整備しました。大切にご利用ください。



◆天沼共和会













◆日大第二中・高等学校

ものすごく綺麗な杉並木!





◆天沼熊野神社

ここは一度来ている。
2018/07/10 天沼散歩 04 天沼出世大黒天/天沼八幡神社/庚申塔/藤乃湯/変わった街灯/天沼熊野神社 - ovanの社会科見学


詳細は前の日記で書いてあるので、今回撮った写真だけ。







荻窪駅前商店会



棟方志功って書いてあるね!
調べてみたら棟方志功さんのアトリエが荻窪にあったとのこと。




荻窪ビール工房






お散歩会の後は南口に移動。
荻窪ビール工房で懇親会。
ビール飲み放題はいいね!
たくさん飲んでおしゃべりした♪

2019/05/26 妙正寺散歩 04 天沼児童遊園/意安地蔵尊/猿田彦神社/杉並区立本天沼区民集会所/天沼稲荷神社/三峰神社・市杵嶋神社

妙正寺川から逸れて南西に進む。



◆天沼児童遊園




◆意安地蔵尊





猿田彦神社







◆杉並区立本天沼民集会所

休憩させていただいた。





◆天沼稲荷神社




 当社は旧天沼村本村の鎮守です。祭神は保食神(うけもちのかみ)で、境外末社として猿田彦神社猿田彦命本天沼2-26)、市杵嶋神社(市杵嶋比売命(ひめのみこと)、本天沼2-5-15)、三峰神社伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉册命(いざなみのみこと)、本天沼2-5-15)を祀っています。
 創建年代は当社の別当職をつとめていた蓮華寺過去帳に「慶長十九年(1614)、板倉周防守より本社境内を除地とする」と記録されていることから、それ以前とも考えられますが、詳しいことは明らかではありません。しかし社伝によれば、稲荷信仰が村内に広まったのは、寛永十二年(1635)に当地が赤坂山王社(山王日枝神社)領となってからと、伝えています。
 また、江戸時代の当社について「新編武蔵風土記稿」には「除地百五十坪、小名本村にアリ、此所ノ鎮守ナリ、本社三尺四方、上覆二間ニ三間」と記されています。
 現在の本殿は、明治初年に前記の山王社の内殿を譲りうけて移築したもので、社殿は、平成十五年に新たに造営されたものです。
 文化財として、内殿移築と同じ頃に山王社(山王日枝神社)から奉納された祭礼の様子を画いた畳二畳ほどの大絵馬(区指定文化財)、弘化五年(1848)二月奉納大幟(のぼり)、文政六年(1823)四月銘の手洗水盤などがあります。(



板絵着色祭礼図一面



本大絵馬は、明治初年旧天沼村の氏子中が奉納したもので、桧板三板を横矧にし、飾金具を配した漆塗りの額で装飾されています。横長の画面には幟を立てた社殿、赤丸に「天」と染め抜いた半天を着た人々、裃姿の武士、そして山車上の囃子方など、祭礼の情景が生き生きと描かれています。作者の「陸斎」はどのような人物であったか不詳です。画面の「玉村作」は裏面の墨書から額師と考えられています。祭礼の情景を描いた区内唯一の絵馬で、また絵師、額師名も記された貴重なものです。



楽殿



鳥居




三峰神社・市杵嶋神社








上記天沼稲荷神社の境外社




続く。

2019/05/26 妙正寺散歩 03 永久橋/日向橋/松下上橋/松下橋/松下下橋/生楽寺/大鷲神社

この日記のエリアも妙正寺川沿いに東へ進む。



◆永久橋






◆日向橋






近くに時計草の花が咲いていた。




◆松下上橋






◆松下橋






◆松下下橋






◆生楽寺

外壁は赤だったのかな?
退色したようだ。





大鷲神社
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 当社は出世大鷲神社と称し、御神体は剥製の大鷲です。
 この地は天沼本村と呼ばれた農村地帯で、主に東京への野菜供給地でした。大正十年一月十一日、現在の本天沼二丁目37番付近の畑地にあった赤松に飛来した鷲を、村の人たちが悪戦苦闘の末仕留めました。羽を広げると2メートル以上もある大鷲でした。村中の人達が見物に来、村に祟りでもあると大変なので、おとり様としてお祀りしようと話がまとまり、一社を建立しました。その後毎年十一月の酉の日には市がたち、天沼本村だけでなく近郷近在の名物として狂言や踊りなどの余興を催したり、賑やかなお祭りがありました。今でも酉の日には、町の有志により商売繁盛を祈る熊手が売られています。
 石の鳥居は、昭和63年に建てられました。
 前を通る早稲田通りは拡張され、、今では平坦な道となっていますが、昭和初期の区画整理前は大鷲神社から西へ向うところは“げんぼう坂”と呼ばれ、かなり急な坂道で荷車を引く者にとっては難所の一つになっていました。



境内社





続く。

2019/05/26 妙正寺散歩 02 妙正寺公園/杉並区シルバー人材センター/落合橋/明法寺橋/寺前橋/上松橋/下松橋/日向上橋

妙正寺公園からは妙正寺川に沿って東へ向かう。




妙正寺公園











◆杉並区シルバー人材センター

以前科学館があったところです。
残念で仕方がありません。

在りし日の科学館。
ovanrei.hatenablog.com




◆落合橋
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妙正寺川流域案内板
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妙正寺川
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 妙正寺川は、妙正寺池を水源とし、区内北部をほぼ東へ流れる延長約9km(区内部分約1.2km)の川で、中野区・新宿区を経て神田川に合流し最後は隅田川にそそぎ込みます。
 武蔵野台地上にある杉並区では地下6~7mに武蔵野砂礫層が堆積しており、その中を流れる地下水が標高約50m付近にある窪地から地表に湧き出て飲料水などとして利用されてきました。この湧水も現在ではほとんど見ることができませんが妙正寺池もその一つです。
 本川の流域には、小規模な縄文・古墳時代の遺跡が点在しており、古代から人々の生活に適した環境をつくり出していたものと思われますが、水量はそう多くはなかったので江戸時代になって千川用水より引水し、神田川上水の助水として利用されてきました。
 しかし梅雨の頃になると水量が増えるので、人々が集まり竹竿の先につけたジョレンなどを使い、川をさらったり長く伸びた川藻を刈取ったりしました。
 又昔は神奈川県の大山阿夫利神社を信仰する人が多く、その講中の人々は代参人を大山に送る時、下流の寺前橋付近にあった「清めの不動様」を祀る大水門で、水垢離をとったといわれ、日照りが続くと阿夫利神社からの神水妙正寺から借りた太鼓を先頭に、大水門から村中を練り歩き、最後にその神水を川に流し、雨乞いをしたといわれています。


大山阿夫利神社を調べると、神奈川県伊勢原市にある神社とのこと。
ケーブルカーがあるね!
機会があったら行ってみたい。





◆明法寺橋







◆寺前橋






◆上松橋








◆下松橋










◆日向上橋







続く。

2019/05/26 妙正寺散歩 01 井荻駅/杉並区民事務所/科学と自然の散歩道/中瀬幼稚園/井草地域区民センター/中瀬橋跡

24時間勤務アケで、井荻から荻窪駅まで散策。
今回はお散歩会に細君と一緒に参加した。
この日記のエリアは井荻駅から南東方向へ進む。



井荻駅

スタートの西武新宿線井荻駅




◆杉並区民事務所

休憩させていただいた。




◆科学と自然の散歩道










◆中瀬幼稚園

ものすごく緑がいっぱいな幼稚園だね!




◆井草地域区民センター

こちらで休憩。





ビオトープがあった。




◆中瀬橋跡




下は暗渠のようだ。





続く。

2019/05/24 ドラぷらの旅 02 信号器材株式会社~道路標識工場見学~

海ほたるの後は信号器材株式会社という企業さんへ。
こちらでは道路標識を作る過程を見学することができた。



最初に広いお部屋に案内されて会社の概要などの説明。
H30年4月決算時
売り上げが136億円。
従業員数290名。


信号器と社名にあるが、信号は作っていないとのこと。
ただ、信号機の設置工事はやっている。
鉄道関連ではレールの絶縁(レールボンド)や南京錠のような形をした特殊な信号錠(信号鍵)を作っている。
その他、車両のマーキングや道路の白線引きなどもやっている。


標識の歴史がとても興味深かった。
江戸時代の一里塚や道標などから始まって、標識令という法律ができて現在に至るまでをお話ししていただいた。


標識令を改めて調べてみた。
「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」

とのことで、wikiで調べると・・・・。
「道路標識、道路標示、区画線のそれぞれの様式、法令上の内容、設置方法や設置基準を詳細に規定している。
特に、道路標識、道路標示、区画線が持つ具体的な法的効力や法的解釈はこの命令に規定されているため重要な法令の一つである。 」
とあった。



説明を聞いた後は製品である標識の展示室へ。






製品にそんな違いはないだろうと思ってたんだけど、説明を聞くうちにものすごい苦労があることがわかる。
反射材の配合や見易さなどの細かい違いがたくさんあった。
道路に引く白線などもこちらで作っているとのこと。



展示室の後は実際に標識を作っている所へ。



製造工程1
www.youtube.com



製造工程2
www.youtube.com



製造工程3
www.youtube.com
昔は手作業でやっていたので大変だったが、今はある程度機械でできる。
完全に自動化したいがやはり手作業の部分は残ってしまうとのことだった。




白線引き
www.youtube.com
綺麗にできてますね!




できたてはかなり熱い!




この後最初に集まったお部屋で質疑応答があり、見学は終了。
標識のアルミニウム合金のお話があったのでちょっと調べてみた。
アルミニウム合金 - Wikipedia



今度から標識を見る目が変わるね!
最後はバスで東京駅まで移動。
勉強になったバス旅行だった。

2019/05/24 ドラぷらの旅 01 アクアライン避難通路見学

久々のお休み♪
NEXCO東日本さんの旅客部門が企画したバスツアーに参加。
東京駅丸ビル前に集合して出発。
最初に目指したのは東京湾アクアラインの海ほたる。




アクアラインは全長15.1km
総事業費は4400億円
橋の部分「アクアブリッジ」は約5kmで日本一
トンネルの部分「アクアトンネル」は約10kmで車が通るトンネルとしては世界一。

トンネルの部分は水深が深く、大型船が通るため橋を架けると高さのあるものにしなけらばならない為トンネルにしてある。
橋の部分は干潟などがあり環境を守るために橋にしてあるとのこと。

ちなみに橋1kmにかかる費用は200億。
トンネルだと500億かかるらしい。
トンネルは10キロだからそれだけで5000億(総事業費は4400億)だからちょっと計算が合わないぞーってブログ書いていて思った(w




最初にアクアラインに関するビデオを見た後に避難通路に移動。





防火扉4枚の向こうに目指す地下通路があった。



車一台がやっと入る大きさ。
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メインの車道が使えないときはコチラを緊急車両が通る。
消防車はここを通れる専門の車両を用意してある。
上りと下りで1本ずつこうした通路があり、一方通行。
トンネル中央にある換気塔の所でUターンできるとのこと。



脱出用の滑り台

ハシゴだと怪我をした方や体の不自由な方の避難が困難になるため、こうした滑り台が設置されている。
カーブしているのはスピードが出過ぎない為とのこと。



非常用の電話

使い方まで説明してもらえた。



救助用のスロープ

こちらは救助する側が使うスロープ。
ストレッチャーが通る幅があり、滑り止めが付いている。



消火栓

上部にパイプが二つあるが、真水と泡消火剤のパイプである。
消防車は小型のため水を積んでおらず、こちらから給水する。



上記、4つの設備(滑り台、電話、スロープ、消火栓)がセットで一つの避難所となっており、300m置きに片側33か所なので、合計66か所設置されている。
今までで1回だけ、車両火災時に使われたことがあったとのこと。




ここから地上に出て緊急車両、ゴジラの足あとと、シールドマシンのカッターの説明があり、最初にビデオを見た場所に戻って見学は終了。



カッター




緊急車両
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ゴジラの足あと

シン・ゴジラのイベント。
そういえばあの映画観てない・・・・。




後は自由行動となる。



お昼に食べた「ち~ば丼」



換気塔




ここから次の標識工場に移動するのだが、移動中避難場所を動画で撮ってみた。
速すぎてわからないね(ww

www.youtube.com



この後は標識工場へ!