2019/05/26 妙正寺散歩 04 天沼児童遊園/意安地蔵尊/猿田彦神社/杉並区立本天沼区民集会所/天沼稲荷神社/三峰神社・市杵嶋神社

妙正寺川から逸れて南西に進む。



◆天沼児童遊園




◆意安地蔵尊





猿田彦神社







◆杉並区立本天沼民集会所

休憩させていただいた。





◆天沼稲荷神社




 当社は旧天沼村本村の鎮守です。祭神は保食神(うけもちのかみ)で、境外末社として猿田彦神社猿田彦命本天沼2-26)、市杵嶋神社(市杵嶋比売命(ひめのみこと)、本天沼2-5-15)、三峰神社伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉册命(いざなみのみこと)、本天沼2-5-15)を祀っています。
 創建年代は当社の別当職をつとめていた蓮華寺過去帳に「慶長十九年(1614)、板倉周防守より本社境内を除地とする」と記録されていることから、それ以前とも考えられますが、詳しいことは明らかではありません。しかし社伝によれば、稲荷信仰が村内に広まったのは、寛永十二年(1635)に当地が赤坂山王社(山王日枝神社)領となってからと、伝えています。
 また、江戸時代の当社について「新編武蔵風土記稿」には「除地百五十坪、小名本村にアリ、此所ノ鎮守ナリ、本社三尺四方、上覆二間ニ三間」と記されています。
 現在の本殿は、明治初年に前記の山王社の内殿を譲りうけて移築したもので、社殿は、平成十五年に新たに造営されたものです。
 文化財として、内殿移築と同じ頃に山王社(山王日枝神社)から奉納された祭礼の様子を画いた畳二畳ほどの大絵馬(区指定文化財)、弘化五年(1848)二月奉納大幟(のぼり)、文政六年(1823)四月銘の手洗水盤などがあります。(



板絵着色祭礼図一面



本大絵馬は、明治初年旧天沼村の氏子中が奉納したもので、桧板三板を横矧にし、飾金具を配した漆塗りの額で装飾されています。横長の画面には幟を立てた社殿、赤丸に「天」と染め抜いた半天を着た人々、裃姿の武士、そして山車上の囃子方など、祭礼の情景が生き生きと描かれています。作者の「陸斎」はどのような人物であったか不詳です。画面の「玉村作」は裏面の墨書から額師と考えられています。祭礼の情景を描いた区内唯一の絵馬で、また絵師、額師名も記された貴重なものです。



楽殿



鳥居




三峰神社・市杵嶋神社








上記天沼稲荷神社の境外社




続く。