2023/02/06 阿波洲神社




奉納絵馬軍群

 阿波洲神社は宝暦二年(1752) 粟嶋明神として勧請されました(別当寺 『寳晃院文書』)。江戸時代中期の明確な創建年次を持つこの神社は、享保九年(1724)から開発が始まる武蔵野新田の一つ、上保谷新田の鎮守神として祀られました。粟嶋明神が表記を阿波洲神社に代えたのは明治以降ですが、 祭神に変更はありません。
 粟嶋明神は紀伊の国 (和歌山) 加太浦の淡島明神を総社としており、祭神は女神の頗梨采女と粟=淡にちなんで日本神話に登場する少彦名命でした。江戸時代江戸浅草の浅草寺境内に祀られた淡島明神が女性の人気を呼んで信仰されたように、上保谷新田の粟嶋も、拝殿前の鈴に下がる五色の紐を切って安産の腹帯にする習俗や、女性たちの針供養捨雛が行われていました。指定文化財となった二十一枚の絵馬のうちには、子さずけや安産、婦人病平癒などを祈願したとみられる 「夫婦拝み」など四枚があり、庶民的な図柄では「大工職人」、秋の「祭礼」、おそらく上保谷村如意輪寺の馬駈け市に出かける道中の「飾り馬」などがあって、信仰心意の種々相と、当時の習俗を伝える貴重な資料となっています。
 こうして阿波洲神社は、女神の特徴や庶民信仰の側面を持ちながらも、新田とはいえ独立した一村の鎮守神であったことから、その年中行事は豊耕神の少彦名を祀る神社として、全て村の農作の豊饒を祈念する儀礼でした。



◆玉集稲荷社




◆小祠




◆鳥居


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