2017/06/29 中井散歩 01 自性院/目白学園遺跡/お屋敷/中井御霊神社

珍しい公休♪
前日に早く寝ちゃって朝5時には起きたけど、
朝ゆっくりできるのはいいね〜!
で、ワニガメさんと新宿の中井に行ってきました。



スタートは都営大江戸線落合南長崎」駅です。



◆自性院(じしょういん)

大田道灌が戦に敗れ、敗走中、目の前に黒猫がこの寺に導いたおかげで命拾いしたというお話がありました。
別名「猫寺」と言われているそうです。





かなり尖っていてちょっと乗っただけでも痛かった(汗



猫塚








目白学園遺跡

新宿のミニ博物館です。
だいたいこの辺りから発掘された遺跡が数点、展示されてました。
都内には意外と遺跡がたくさんあってビックリします。








◆お屋敷



ものすごいお屋敷がありました。
個人宅かと思っていたら、企業さんみたいですね。





◆中井御霊神社



文化財

中井御霊神社の備射祭
 備射祭は、正月の弓神事 (幸村)で、的に向かって矢を射て、その年の豊凶を占い、魔を払って豊作を祈る行事である。 中井御霊神社では毎年一月十三日の午後に行われており、拝殿で祝詞奏上に続き、盃ごと、祝宴の順で進行する。 備射祭で使った弓の弦は安産のお守りとして授けられる。

中井御霊神社の分木
 分本は、備射祭で使うに丸い円を描くためのコンパスである。 長さ七〇センチあまりの竹を二つに割って作ったもので、一的の中心に、円を描くとて刻まれた切り込みに筆などを添えて一周させる。 一本は永禄六年(1564)、もう一本は元和六年(1620)の起がある。

中井御霊神社の備射祭絵馬
江戸時代の備射祭を描いた絵馬で拝殿内に掲げられている。額装・彩色(さいしき)・縦2cm、横120cm、村人たちの姿が描かれ、現在とは異なる備射祭の様子がうかがえる。絵馬は、享保年間より三回にわたり奉納されたが、現在の絵馬は文政十三年(1830)に修復して奉納された。


文化財

中井御霊神社の本殿・幣殿・拝殿
 神社の社殿は本殿・幣殿・拝殿からなる複合形式は権現造りである。
 本殿は、記録により享保三年(1718)から文化七年(1810)の建造と考えられる。形式は三間社流造り、銅板葺きである。拝殿は、文書の記録より明治二十九年(1869)のであることがわかる。形式は正面三間、側面三間の入母屋造り、銅板葺きである。幣殿は記録が残っていないが、大正時代の建造と伝えられる。
 拝殿の屋根を茅葺から銅版葺きに葺き替えるなど、多くの改修・改変が重ねられたが、区内では希少な江戸から明治時代の神社建築として重要である。

中井御霊神社の狛犬
 正徳五年(1715)に下落合村の氏子により納された一対の狛犬で、社殿向かって左側が阿形、向かって右側が吽形である。いずれも毛の描写など、比較的丁寧な装飾が施されている。
 台座には銘文があり、村名の一部が剥落により判読できないものの、施主の名や奉納年月日が確認できる。総高は阿形161.5cm、吽形162.5cmで、二段ある台座のうち下段は後に補われたものである。
 現存する区内最古の狛犬であり、都内でも比較的古い時期の狛犬である。近世から近代における中井地域の振興や鎮守社と地域との結びつきを示す石造品として貴重である。


文化財

雨乞のむしろ旗
 中井御霊神社の南行事に用いられたむしろ旅で、 八枚あったうち一枚だけ残ったものである。 文化・文政年間 (1804〜30)頃のものと推定され、縦182cm、横91cm、表面には「龍王神」の墨書が、裏面には龍の図が描かれている。
 雨ごいの行事は関東大震災頃まで行われていたという。

中井御霊神社文書
 中井御霊神社に伝えられる古文書で一九七件ある。 その構成 寛延二年(1949)の「正一位稲荷大明神安鎮之事」を最古とし、 昭和十八年(1943)の「安産御守授与氏名控」まで、江戸時代のもの人件、明治時代以降のもの一八九件からなる。
 内容は、 中井御霊神社と境内の稲荷神社の祭礼や寄進、社殿の普請、境内地の変遷などに関するものが大部分である。 新宿区内に残る数少ない神社文書として貴重である。







続きます。