2018/04/28 浅草橋散歩 05 厩橋/隅田川テラス/うまやの渡し跡/厩橋地蔵尊/水門/蔵前橋/第六天神社

先程のエリアから隅田川沿いに南下。
歩くと汗ばむ陽気だったが、川沿いは涼しくて気持ちよかった。



厩橋










隅田川テラス




隅田川の脇の遊歩道がテラスになっている。





浮世絵などが紹介されている。
他の浮世絵などはアルバムに入っている。
http://f.hatena.ne.jp/ovanrei/20180428%2028%20%E9%9A%85%E7%94%B0%E5%B7%9D%E3%83%86/


こいのぼりフェステバルをやっていて、子供たちがおもいおもいに描いたこいのぼりが展示されていた。










◆うまやの渡し跡


江戸時代は幕府の政策により橋の数が少なく、代わりに各所に「渡し船」がありました。
ここは、「うまやの渡し」があり多くの人々を渡しました。
春のお花見の頃は「墨堤の桜」を見に行く多くの人々が利用しました。




厩橋地蔵尊

こちらは以前来たことがある。
2016/08/02
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20160802/1470215195




◆水門

隅田川に流すための水門と思われるが、具体的なことは何もわからなかった。



◆蔵前橋




第六天神



繁昌稲荷社



浅草文庫跡碑

浅草文庫は、明治7年(1874)7月に創設された官立の図書館である。翌8年に開館し、公私の閲覧に供した。当時の和・漢・洋の蔵書数は十一万余冊とも十三万余冊ともいわれている。現在、その蔵書は、国立公文書館内閣文庫や国立国会図書館東京国立博物館などに所蔵され、太政大臣三条実美の筆蹟と伝える「浅草文庫」の朱印が押されている。
明治14年5月に閉鎖。跡地は翌15年に設立の東京職工学校(旧東京高等工業学校、現東京工業大学)の敷地の一部となった。関東大震災後の大正13年、当時の東京高等工業学校は目黒区大岡山に移転。
昭和3年に現在地に移ってきた榊神社のあたりは、かつて、浅草文庫が位置していたところである。高さ4mの碑は、この文教の旧地を記念して、昭和15年11月建立された。



七福稲荷神社




事比羅神社/豊受神社

「金刀比羅」じゃなくて「事比羅神社」なんだね。







 本石碑は、当地にあった東京高等工業学校(現 東京工業大学)を記念し、工業教育発祥の地として同窓会の蔵前工業会が建立したものである。
 当校は、工業指導者の養成を目的として、明治十四年五月東京職工学校として創設され、明治二十三年三月東京工業学校、明治三十四年東京高等工業学校と改称された。
 当校は、常に日本の工業教育の指導的地位にあり、また、多くの留学生を教育するなど、科学技術の発展に貢献し、東京の出身者は「蔵前の出身」という愛称で重用された。
 しかし、大正十二年九月の関東大震災により、校舎、工場等が灰塵に帰したため、学校当局は、当地での再建を断念、目黒区大岡山に移転した。当地の敷地は、正門の位置に建てられている本石碑を中心に、隅田川に沿って面積四万三千平方メートルに及んでいた。
 側面に「昭和十八年三月吉日社団法人蔵前工業会建立」裏面に「永田秀次郎選」の碑文が刻されている。










続く。