2018/06/28 01 荒川散歩 04 大関屋敷跡/下谷通新町/心池弁財天/砂場/石川屋敷跡/大勝湯/南千住第四児童遊園

ジョイフル三ノ輪周辺を散策。
江戸の三大蕎麦の一つ、砂場に行ってみるも休みだった(w
あわわ・・・・・・・。



大関屋敷跡



google mapに載っていたので来てみたが、説明板とか見つからない。
マークの位置はこの写真の場所辺り。




下谷通新町




下谷通(現国道4号線)の両側に発達した町、南は下谷三ノ輪町に続き、北は千住小塚原町に接続していた。町の広さは東西四五間(約81メートル)、南北六町余(約654メートル)、『御府内備孝』によれば、寛文元年(1661)の割付に「小塚原新町」、元禄九年(1696)の割付に「下谷通新町」と見えるとされ、北隣の小塚原町から分かれて新町として成立したと推定される。町名が下谷通新町に変わった時期は元禄八年(1695)頃とされている。町奉行と代官の両方の支配であった。明治一一年(1878)には下谷区に属し、翌一二年に下谷真正寺町を吸収した。同二二年に南千住の一部となった。




◆心池弁財天



◆砂場

お蕎麦食べたかったなあ。
また今度来よう。



◆石川屋敷跡



 伊勢亀山藩主石川日向守屋敷は、新開地一帯(現在のジョイフル三の輪あたり)にあって、総坪数11040坪(約36400平方メートル)にも及ぶ広さであった。万治元年(1658)、主殿頭憲之の時に、三河島・三の輪・小塚原三か村のうち10530坪(約34700平方メートル)の地を拝領し下屋敷を造築。寛文5年(1665)三河島村重右衛門の所有地518坪(約1700平方メートル)を買上げ、屋敷・庭園を造築した。
 この石川屋敷では、4月から7月までの間に限って鉄砲稽古をしたという。




◆大勝湯

お昼頃だったけどもう開店していた。
調べてみると朝10時半からやってるみたい。




◆南千住第四児童遊園





続く。