24時間勤務アケで、最初にまたまた竹橋から東京駅まで散歩。
そのあとは南千住駅まで電車移動。
南千住駅からは徒歩で反時計回り。
三ノ輪経由でまた南千住駅へ。
最初に竹橋から東京駅へ。
南千住駅前の松屋でご飯を食べて西側エリアを散策。
◆日光道中
日光道中は、日本橋を起点に日光を終点とする江戸時代の五街道の一つである。日光街道ともいう。地元では、周辺の古い地名「小塚原(こつかっぱら)」の略称を冠して「コツ通り」と呼ばれている。
寛永元年(1624)、幕府により整備が始められ、全国的な主要幹線として多くの人馬が行き交った。区内では、現在の泊橋交差点から千住大橋までの道筋がこれに相当する。江戸の入口にあたり、日光道中の初宿である千住宿(下宿)が置かれた。
明治六年(1873)からは国道陸羽街道と称し、主要幹線として機能したが、昭和二十七年(1952)の新道路法の施行により、特例都道第464号言問橋南千住線となった。
なお、昭和三十七年以来、日光街道の名称は、国道四号線の宇都宮以南の東京都通称道路名として使われている。
笹の団子の如来(西光寺)
西光寺は、真覚山菩提院といい、芝増上寺の末寺で、賢誉長公(天文八年〔1539〕没)が開いた寺である。
本尊の阿弥陀如来は、恵心僧都源信の作と伝える四尺ばかり(約1.2メートル)の坐像である。病のある者が、笹の枝にさした白団子を供えて祈願すれば霊願があるといわれ、「笹の団子の如来」とよばれている。
境内に、貞和五(1349)に鎮座したという金子福寿稲荷(金福稲荷)があったが、昭和五十三年(1978)に西光寺の東方に移転した。
◆下谷道
下谷広小路・坂本・三の輪・下谷通新町を通り、素盞雄神社の所で右におれ奥州街道(現コツ通り)に合流する道は、江戸時代、日光道などともよばれ、東叡山門主で日光山門主も兼ねていた輪王寺宮が日光に行く際の道とされていた。周辺には大名屋敷や寺院・町家が軒を連ね賑わったという。
現在の国道4号線(日光街道)がほぼこの道筋にあたるが、道路の拡張や改修によってその姿は変ってしまった。素盞雄神社に至るこの道は、かろうじて旧道の面影を止どめている。
続く。