この日記のエリアあたりから住所が小石川に変わる。
◆共同印刷本社
見たことがある社名だと思ったらやっぱり東証一部の大企業さんだった。
子供向けの工場見学はあるみたいだけど、一般人は見られないみたいだ。
社史が面白いね!
google mapではこのお寺の境内に「延命豆腐地蔵尊」があるようだ。
◆井上哲次郎宅跡(文京区立井上公園内)
井上哲次郎(1855〜1944)は、筑前太宰府に生まれ、巽軒(そんけん)と号した。東大教授となり、従来の英仏系の哲学に対して、新たにドイツ系哲学を移し、日本の観念論哲学の樹立に寄与した。
著書には、「巽軒論文初集」「日本古学派之哲学」、漢詩「考女白菊詩」、漢詩集「巽軒詩妙」などがある。
この地は、明治25年(1892)から亡くなる昭和19年(1944)まで住居のあったところである。旧宅は戦災で焼失したが、書庫で合った土蔵二棟が残った。跡地は、現在文京区立井上児童遊園となっている。
土蔵のうち、手前の一棟は、明治36年(1903)の建造で木骨(もっこつ)レンガ造り二階建てである。奥の一棟は、鉄筋コンクリート造り二階建てで、大正8年(1919)の建築である。
関東大震災や戦災で、隣接家屋は焼失したが、土蔵内に収納された物品は安全であった。土蔵は防災建築史上からも貴重なものである。
土蔵二棟は、昭和56年(1981)3月、文京区教育委員会が補修整備を行った。
◆善光寺坂
坂の途中に善光寺があるので、寺の名をとって坂名とした。善光寺は慶長7年(1602)の創建と伝えられ、伝通院(徳川将軍家の菩提寺)の塔頭で、縁受院と称した。明治17年(1884)に善光寺と改称し、信州の善光寺の分院となった。したがって明治時代の新しい坂名である。坂上の歩道のまん中に椋(むく)の老木がある。古来、この木には、坂の北側にある稲荷に祀られている、澤蔵司(たくぞうす)の魂が宿るといわれている。なお、坂上の慈眼院の境内には礫川(れきせん)や小石川の地名に因む松尾芭蕉翁の句碑が建立されている。
"一しぐれ 礫(つぶて)や降りて 小石川" はせを(芭蕉)
また、この界隈には幸田露伴(1867〜1947)・徳田秋声(1871〜1943)や島木赤彦(1876〜1926)、古泉千樫(ちかし)(1886〜1927)ら文人、歌人が住み活躍した。
◆善光寺
続く。