八幡神社は旧滝野川村の鎮守で、地元では滝野川八幡と称されることもあるようです。神社の祭神は品陀和気命(応神天皇)で、創建は建仁二年(1202)といわれていますが、詳細は不明です。社殿の裏手からは縄文時代後期の住居址が発見されており、社地は考古学的にも貴重な遺跡に立地しています。神仏分離以前は石神井川畔にある金剛寺が別当寺でした。明治初年には大塚の天祖神社神職が祠掌を兼務していたようです。
現在の本殿は明治十七年(1884)に改築されており、拝殿は大正十一年(1922)に修築されています。境内には、富士・榛名・稲荷の三つの末社があります。このうち、特に榛名社については、村民が農耕時の降雨を願い上州の榛名山より勧請したもののようです。
神社の社務所は終戦直後まで、旧中山道に面した滝野川三軒家の種子問屋が中心となっていた東京種子同業組合の会合場所として利用されていました。組合ではここで野菜の種子相場(生産者からの引取価格)の協定をしたり、東京府農事試験場に試作を依頼していた原種審査会の表彰などを行いました。
◆滝野川消防署三軒家出張所
◆狐塚坂
ストリートビューを見てたら、消防署脇の路が「坂」になっているようだ。
碑が建っていたので、スクショ。
滝野川第六小学校の南から南西へ登る坂です。坂名は、坂を登った東にある滝野川消防署三軒家出張所のところに狐塚という塚があったことによります。ここから南西向い側の重吉稲荷境内にあった寛政10年(1798)造立の石造廻国塔に、「これより たきの川べんてん・たきふとう おふし・六阿弥陀・せんちゅ みち」という道標銘が刻まれ、岩屋弁天・正受院への参詣や六阿弥陀詣での人びとが利用したことをしのばせます。
続く。