2019/10/28 西大井散歩 05 永守稲荷神社/鹿島庚塚児童遊園/大森操車所/空気抜き管/稲荷神社/大井鹿島神社/来迎院石造念仏講供養塔

ここでも少しジグザグになるが大森駅方面へ。
地図で見るとだいぶ遠回りしている(w



◆永守稲荷神社






◆鹿島庚塚児童遊園






◆大森操車所

東急バスさんの施設だね。
上はどうなってるんだろう?



◆空気抜き管

大森操車所の敷地内。




この管は、大雨のときに下水道管を勢いよく流れる雨水により、押されて逃げ場のなくなった空気を逃すための施設です。






◆稲荷神社






霊験あらたかなる当稲荷は、この地が江戸と呼称される以前にさかのぼる大井の庄の頃より土地の人々に愛されあがめられてきた由緒ある存在である
家内安全 無病息災 子宝授与 蓄財万全 旅の安全 祈願成就
など多くのお恵みにより万民の幸福を約されている
平成の良き日にあたり改めて縁を起豪するものなり





◆大井鹿島神社


旧社殿(現末社




楽殿



鹿島神社タブノキ(1)(2)

どの木がそうなのかよくわからなかった・・・。



 タブノキは、別名イヌグスといい、クス ノキ科の常緑の高木で、暖かい地方の海岸に自生し、よく大木となる。
 (1)は本殿に向かって左側の境内中央部に あり、幹の周りは約三・二m、木の高さは 約十三m、推定の樹齢は約二百年である。 強風によって上半分がなくなり、幹の先を 鉄板で覆ってあるが、下の方の木の勢いは盛んである。
 (2) 口は本殿の脇にある旧本殿の前に生えており(本樹)、幹の周りは約二・五m、木の高きは約十八m、推定の樹齢は約二百年 である。木の姿・勢いとも立派で、自然の姿を保っている。




大井囃子(ばやし)

 大井雅子は関東地方で広く行われている祭雅子の一つで、江戸時代から続いている伝統ある江戸祭雅子である。文政三年(1820)、大井村原の豪農倉本彦五郎を発起人として始められたもので、目黒囃子の系統である。
 この囃子の編成の基本は、大太鼓一・調太鼓 二・鈺(かね)一・横笛一の五人である。鹿島神社で、毎年七月十九日の中祭(ちゅうさい)と、
十月の第三日曜日に行われる大祭、二月の節分の時などに、当神社や町内御神酒所で演奏され、獅子舞も行われる。
 大井雅子は盛衰はあったが、戦前まで継承さ れてきた。戦後しばらくの間途絶えていたが、昭和三十六年「大井囃子保存会」が地元有志により結成され、今日に至っている。






◆来迎院石造念仏講供養塔










 江戸時代に盛んに行われた念仏講の供養塔で、 右側の堂内に二基、真ん中の堂との間に一基が建てられている。
 堂内の地蔵菩薩像を彫った舟型の二基の塔は、明暦二年(1656)と万治二年(1659)の造立で、堂外にある六字名号(南無阿弥陀佛)を彫った笠塔婆型(かさとうばがた)の塔は、寛文七年(1667)の造立である。いずれも江戸時代の初期に、大井村に念仏講が存在していたことを示す資料として貴重である。
 この場所は、もともと来迎院の境内であった が、道路建設のために現在のようになっている。






続く。