2019/12/21 01 世田谷代沢散歩 02 暗渠/森厳寺/北沢八幡神社/中下橋/横光利一文学顕彰碑/一本橋/稲荷橋

南下していくと北沢川緑道に出る。
あとは北沢川緑道沿いに東へ進む。


◆暗渠

下は何が通ってるんだろう?



◆森厳寺



針塚



森巌寺の針供養
 針供養とは二月八日や十二月八日、あるいは両日ともに裁縫の仕事を休み、折れ針や古針を供養する行事のことをいう。現在、森巌寺の針供養は毎年二月八日に淡島堂で行われている。
 堂内に置かれた豆腐に古針が刺され、住職らによって供養の法要が営まれる。供養された針は豆腐より抜き取られ、淡島堂正規
面にある石棺に納められる。
 森巌寺における針供養の創始は不詳であるが、安政三年(1856)刊行の『狂歌江戸名所図会』には同寺の針供養に関連した狂歌が詠まれており、遅くとも安政期にはこの地で針供養が行われており、その施灸と共にかなりの程度著名であったと思われる。

 まかり(曲り)たる針も納る淡しま ハ
         人をつりこむ御夢相の灸

 淡しまに灸をそすうる女等の
          針さす痛もをさまりにけり
(「治まる」「納める」を懸ける)

 森巌寺の針供養は、かつては広く見られた民間信仰の風潮と、道具を大切に扱った先人達の思想をいまに伝えるものとして貴重な存征である。

淡島堂


閻魔堂


辨財天堂


富士塚

google mapだとこの塀の向こうに富士塚があったらしい。
wikiで調べると『富士講で名高い寺として知られ・・・』とあった。



山門




◆北沢八幡神社


産土社


弁天社


野屋敷稲荷社


愛宕稲荷社


長栄稲荷社



富士山数遥拝所

江戸時代に富士山から運んできた溶岩を使用しています。
冬の良く晴れた日に富士山が眺められます。

とあった。


楽殿



北沢八幡の秋祭り

世田谷近辺の守護神として、吉良家によって勧請されました。世田谷北沢八社随一、正八幡称され、人々の尊崇を集めてきました。秋の例大祭には80台もの神輿が出て、境内一帯は人々で賑わいます。特に神輿が境内に繰り込む時は圧巻です。




階段



北沢八幡児童遊園

境内に一部が公園になっていた。




鳥居




◆中下橋

下は北沢川。





横光利一文学顕彰碑



微笑といふものは人の心を殺す光線だ   横光利一
 新感覚という未踏の境地を切り開いたのは小説家、横光利一(1891-1947)である。彼は、1928年11月、ここ北沢川左岸の丘に居を構えた。小田急線開通によって開けた地である。『雨過山房(うかさんぼう)』と名づけられた邸からは近代郊外風景が望めた。木々の間に赤い屋根が見え隠れし、眼下には緑の傾斜が川まで続いていた。
 代表作『旅愁』をはじめとする数々の作品がここで書き上げられた。当地、北沢に想を得たものも少なくない。その愛着の深い地で彼は終馬を迎える。1947年12月30日、49歳の若さだった。彼こそは下北沢文士町、先駈けの作家である。
 冒頭の一節は、遺作となった『微笑』から抜き出したものだ。数文字で現象の本質を巧みに衝く新感覚表現の結晶の一つだと言ってよい。この『微笑』には、「家の門から 玄関までの石畳が靴を響かせ」てくるとき、その「靴音の加減で」、用向きの判定をつけていたとある。碑の下に据えられているのは横光家から寄贈されたその石畳である。
 ゆかりの石を用いての碑を、彼が慣れ親しんだ散歩道沿いに建立した。ここを踏み渡っていく足音が想像できるように・・・・。



一本橋






◆稲荷橋







続く。