ちょっと遠回りだけど矢口渡駅方向に進む。
◆蒲田不動尊 大楽寺
旧地名”原” の由来
この原児童公園のある地域は昔から ”原”という地名でした。古くは応永年間(西暦1400年頃)に原郷という地名があったことが古文書にしるされています。
”原”という地名は住人原氏の名字を残したものといわれています。
この地に"原村の梅園"と呼ばれた梅の名所があったのは明治十六年頃から昭和十二年頃まででした。
昭和四十二年五月住居表示の変更こより多摩川二丁目となり現在にいだっています。
◆東福寺
中には入れなかった。
◆放光地蔵尊
第二次世界大戦まっただ中の昭和二十年四月十五日夜半、この地はアメリカ空軍B29の爆撃を受け、無数の焼夷弾と爆弾が投下されて矢口渡駅から多摩川の土手に至る迄完全な焼野原となり数多くの焼死者を出しました。
当時、この家の主、鈴木三郎は一人焼跡の防空豪に残り、廃墟となった土地をみてまわると、あちらからもこちらからも焼死した人の遺骨が見出されたので涙ながらにそれ等を拾い集めては供養をしていました。
何の罪もないこれ等戦災横使者の霊を慰めたくてこのお地蔵さまの建立を思いつき、昭和三十二年九月二十一日、その名も放光地蔵と名づけて末の世までも平和である事を願いました。
続く。