2021/05/09 台東区橋場散歩 03 東京ガスガスタンク/平賀源内石碑/平賀源内の墓/レトロな建物/富士の湯/お化け地蔵/石浜図書館

墨田川から離れて明治通りに入り西へ進む。
平賀源内石碑から細い路地に入って南下。


東京ガスガスタンク








◆平賀源内石碑








◆平賀源内の墓



 平賀源内は享保十三年(1728)、讃岐国志度浦(現香川県志度町)に生まれる(生年には諸説ある)。高松藩士白石良房の三男で名は国倫。源内は通称である。寛延二年(1749)に家督を継ぎ、祖先の姓である平賀姓を用いた。本草学・医学・儒学・絵画を学び、事業面では成功しなかったが、物産開発に尽力した。物産会の主催、鉱山開発、陶器製造、毛織物製造などをおこない、エレキテル(摩擦起電機)を復元製作、火浣布(石綿の耐火布)を発明した。一方で風来山人・福内鬼外などの号名をもち、「風流志道軒伝」などの滑稽本や、浄瑠璃「神霊矢口渡」などの作品を残している。
 安永八年(1779)十一月に誤って殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で十二月十八日に病死、遺体は橋場の総泉寺(曹洞宗)に葬られた。墓は角塔状で笠付、上段角石に「安永八己亥十二月十八日 智見霊雄居士 平賀源内墓」と刻む。後方に従僕福助の墓がある。
 総泉寺は昭和三年(1928)板橋区小豆沢へ移転したが、源内墓は当地に保存された。昭和四年に東京府史蹟に仮指定され、昭和六年には松平頼壽(旧高松藩当主)により築地塀が整備される。昭和十八年に国指定史跡となった。











◆レトロな建物

看板建築だね。
政治家さんの事務所になっているようだ。



MAPの丸印がついているところが写真の建物があった。







◆富士の湯

銭湯♪








◆お化け地蔵



 「お化け地蔵」の名には、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、あるいは高さ3メートル余りの並はずれて大きいからなど、いくつかの伝承がある。
 この辺りは、室町時代以来、禅宗名刹総泉寺の境内地であった。門前一帯を浅茅ヶ原といい、明治四十年刊「東京名所図会」には「浅茅ヶ原の松並木の道の傍らに大いなる石地蔵ありしを維新の際並木の松を刈りとり、石地蔵は総泉寺入口に移したり」とあり、「当寺入口に常夜灯あり、東畔に大地蔵安置す」とも記している。
 お化け地蔵の台石によれば、この石仏は享保六年(1721)の建立。関東大震災で二つに折れたが、補修し現在にいたっており頭部も取りかえられている。常夜灯は、寛政二年(1790)に建てられた。
 総泉寺は、昭和四年板橋区へ移転した。「お化け地蔵」近くにある「元総泉寺境内諸仏供養の為」の碑は移転に際し建てられたものと思われる。








◆石浜図書館









続く。