2020/11/16 石神井公園散歩 03 庚申塔・子育地蔵/豊弘湯/大島屋/石神井公園/禅定院/庚申塔/農業体験農園「農の詩」

どんどん南下して石神井公園へ。
公園は3回くらい来たことがあるかな?
かなり広い公園だ。



庚申塔・子育地蔵



庚申塔・子育地蔵に関する説明板はなく「大山街道」の説明板が建っていた。



 大山道は道者街道、富士街道ともよばれています。それは阿夫利山ともいわれた大山へ、また大山から富士山への道者達が通ったからです。北町一丁目で川越街道から分かれて、石神井、田無を経て伊勢原(神奈川県)に達していました。 練馬の中央部をほぼ東から西南に横断して区内では約八キロメートルに及んでいます。そしてその分岐点には、「従より大山道」と刻んだ道しるべが立てられたのです。
 旧暦の六月は、俗に祭月とよばれているように、江戸や関東の各地では、祭礼がさかんに行われました。阿夫利山も「水の無い月に雨降る山は開き」と あるように、六月二十八日が初山(はつやま)で、それから七月十四日まで、連日、関東の村々から集った人びとでにぎわいました。 その白衣の道者たちが通ったのがこの街道です。


子育地蔵遊び場

敷地脇が公園だった。
もともと同じ境内だったのかな?









◆豊弘湯

銭湯♪







◆大島屋

駄菓子屋さん。
こういうお店がある商店街は良いね♪







石神井公園石神井池側)



石神井公園は、三宝寺池石神井池の二つの池を中心に構成されており、豊かな自然と、石神井城址などの史跡や伝説もある武蔵野のおもかげが多く残されている公園です。特に三宝寺池周辺では、国の天然記念物である沼沢植物群落を始めとして、自然が多く残されています。

園内では、春は花見、夏は石神井池でのボート遊び、秋は紅葉、冬は水鳥など、それぞれの季節ごとにさまざまな花や景観を楽しむことができます。



みっけ♪








 この石神井公園記念庭園は、石神井村元収入役で地元の資産家であった豊田銀右衛門により大正期に造成された第二豊田園という庭園に由来しています。
 豊田氏は、まず、現在の石神井池(ボート池)にあたる場所の北畔台地にツツジを中心に植栽した第一豊田園を開設し、続いて、この地の起伏に富む景観と池を活かした日本庭園として第二豊田園を開設しました。正確な年は不明ですが、残されているいくつかの資料をもとに第一豊田園は大正2年(1913)頃、第二豊田園は大正5年(1916)頃に開設されたと考えられています。
 大正4年(1915)に現在の西武池袋線の前身・武蔵野鉄道池袋駅飯能駅間が開通したことを受けて、当時の石神井など沿線各地には観光開発を進めて地域の発展を期そうとの気運が高まっており、ふたつの豊田園開設もそのような時代の流れの一環であったようです。
 大正9年(1920)には、武蔵野会による「研究旅行兼中秋観月会」が、また、昭和8年(1933)には高浜虚子とその一派による「俳句吟行会」が開かれるなど、近隣の住民から文人たちにまで広く親しまれる石神井の名所となっていました。
 その後、第一豊田園は宅地となり、第二豊田園も豊田家所有から離れましたが、東京都が取得して都立石神井公園の一部として再整備され、昭和53年(1978)、往時の名残をとどめる「記念庭園」の名称で開園しました。
 春にはソメイヨシノ、夏には虫や草花、秋にはイロハモミジの紅葉、冬には池に飛来するカモ類など、季節ごとに自然が味わえる、公園の中でも独自の魅力ある地域となっています。







◆禅定院



 禅定院は、照光山無量寺といい、真言宗智山派(豊島八十八ヶ所霊場第70番札所)のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。
 「新編武蔵風土記稿」によれば、今から約600年前、願行上人によって開かれたお寺であると伝えます。文政年間(1818~30)の火災で、建物・記録などことごとく焼失しましたが、境内にある応安、至徳(南北朝時代)年号の板碑によっても創建の古さをうかがうことができます。
 門前の堂宇に安置された六地蔵や鐘楼前の大宝篋印塔は石神井村の光明真言講中によって造立されたものです。
 本堂前の寛文十三年(1673)と刻まれた織部灯籠(区登録文化財)はその像容から別名キリシタン灯籠といわれ、区内でも珍しい石造物の一つに数えられています。墓地入口にいぼの治癒に霊験のあるいぼとり地蔵や、墓地内に寺子屋師匠の菩提を弔った筆子塚があります。
 また現在の石神井小学校の前身である豊島小学校は、明治七年(1874)区内初の公立小学校としてここに創立され、以来三十余年子弟の教育の場でした。


なかよし わらべの碑

 明治五年(1872)8月、時の新政府は全国に学制を発布して教育振興の気運をつくり、学区の制定、公立小学校創設の示達をした。明治七年(1874)四月、当地方、地区村内、有力者の首唱する処となり、学校設置の衆議決により、府庁の認可を得て小学公立豊島小学校と名称して当禅定院堂宇を以て校舎となし、明治七年(1874)五月十八日開校式を挙げ、以来30有余年当地区村内児童の訓育の道場となった。『学校沿革誌』及び石神井小学校七十七年史 ( 昭和二十六年(1951)一月刊)実録に依り、今ここに「なかよし わらべ」の碑に託して、これを永代に留めるものである。


キリシタン灯籠


石塔群

板碑だと思われる。
表面がだいぶ削れてしまってるね・・・。


鐘楼


ヒヨクヒバ



ヒヨクヒバとしては区内有数の大きさで、幹が分岐した樹形も立派であることから指定されました。
樹の高さ7m 幹の太さ2.1m


山門







庚申塔







◆農業体験農園「農の詩」



 この農園は区画貸しする一般の区民農園とは異なり、農園主の指導のもとで作付けから収穫までの農作業を体験する農園です。
 農園主が自ら行う農業経営に参加して農業体験するので、入園者は自分の好きな作物を自由に作ることは出来ません。
 しかし、農家の指導のもとで作るのですから、1年目から高品質の野菜を収穫できます。しかも安全・安心・新鮮で、野菜を作る楽しさも体験できます。
 この公園は石神井公園にも隣接しており、環境にも大変マグマれています。四季を感じながら、皆さんと一緒にこの農園を育てていきたいと思います。






続く。