2020/12/01 富士見台散歩 04 所沢道跡碑/観蔵院/南田中四丁目区民農園/稲荷神社/「右長命寺道」道しるべ/南田中いちょう並木公園

旧早稲田通りを離れて今度は北東へ進む。
「観蔵院」からは南東へ進み笹目通りを渡り、さらに南東へ。



◆所沢道跡碑



 所沢道は、八成橋で杉並区から練馬区へ入ります。禅定院の門前で向きを西に変え、道場寺・三宝寺の門前を通って、富士街道と交差した後、南大泉を経て西東京市に入り、所沢へと通じています。概ね今の「旧早稲田通り」です。
 『新編武蔵風土記稿』では、この道のことを単に「所沢へノ道」と記してあり、はっきり「所沢道」と書かれた文献としては『石神井村誌』(大正四年)が初めてのようです。
 関東大震災後、都市計画により名称が「昭和通り」となり、大部分の区画で拡張工事が行われましたが、禅定院から石神井小学校の間には、今も所々に旧い道が残っています。
 三宝寺池の弁財天(現厳島神社)の祭礼の日には、近在や江戸からたくさんの人がこの道を使って石神井へ訪れました。
 江戸の文人大田南畝が『石神井三宝寺遊記』に記した道でもあります。大泉・石神井から、江戸方面へ農産物などを運んだ産業の道であったと共に、江戸からの参詣・行楽の道でもありました。








◆観蔵院


筆子供養塔

この供養塔は筆子供養塔といって、教えを受けた生徒が無くなった恩師の菩提を祈り建立したものです。
これはかつて鑑三院で寺子屋が開かれ、近隣の子どもたちの教育に寄与されていた歴史が確認できる貴重な遺跡です。
二体の供養塔にはそれぞれ宝暦十二年(1762)、文化五年(1808)の年号の筆子中という施主名が刻まれています。
これらは観蔵院がこの地域の文化の中心の場であった事を示す、練馬区では最古の史跡でもあります。


観蔵院の筆子碑

 家塾を開いていた権大僧都法印日傳が宝暦12年(1762)に没した際、師匠を偲んで教え子達が建立したものです。区内では古い部類の筆子碑です。


山門









◆南田中四丁目区民農園



 市民農園は、練馬区が所有者から借り受けて農地を整備して区画割りし、区民の皆さまが野菜などの栽培を楽しめるようにした農園です。
 1区画は約15㎡で、利用者が丹精込めて農作物を育てています。








◆稲荷神社









◆「右長命寺道」道しるべ



江戸時代に立てられた道標です。高野台の長命寺方面と江古田、落合方面との岐路を示しています。
 ここには、かつて千川上水が流れており、三兵橋が架かっていました。その傍らに東を向いて建てられていました。その位置は西側の道路脇となります。








◆南田中いちょう並木公園









続く。