2021/02/27 豊島長崎散歩 02 豊島区立熊谷守一美術館/健康ランド末広湯/庚申塔/長崎商和会/西向不動尊/さくらが丘パルテノン跡/中高生センタージャンプ長崎

細い路地を南東へ向かって歩く。



◆豊島区立熊谷守一美術館


熊谷守一の旧宅跡地に開館した私設の個人美術館。
2007年から豊島区立となった。


『熊谷 守一(くまがい もりかず、1880年明治13年〉4月2日 - 1977年〈昭和52年〉8月1日)は、日本の画家。日本の美術史においてフォービズムの画家と位置づけられている。しかし作風は徐々にシンプルになり、晩年は抽象絵画に接近した。富裕層の出身であるが極度の芸術家気質で貧乏生活を送り、「二科展」に出品を続け「画壇の仙人」と呼ばれた。勲三等(辞退)、文化勲章(辞退)。』
熊谷守一 - Wikipedia


公式HP
豊島区立 熊谷守一美術館









健康ランド末広湯

銭湯♪










庚申塔










◆長崎商和会

商店街♪












◆西向不動尊



旧長崎村字西向の人達によって、大正十五年(1926年)に創建されたといわれます。
くわしい由来などは不明ですが、本来はこの場所よりやや北の小山に架かる橋の袂にあり、その周辺には水が湧きだしていて洗い場がありました。
当地区の耕地整理によって、現在地へ移され、それ以来、地位kの人々に親しまれて来ましたが、七十余年を経て風化が進み、地元賛同者の協力により、平成十一年(1999)に再建され、同年七月十八日、入魂式が執り行われました。








さくらが丘パルテノン跡


長崎アトリエ村

 第一次世界大戦後の大正年間(1912~25年)、都市部を中心に自由主義の風潮が広がり、また洋風文化が浸透していった。それを背景として、昭和初年には池袋にほど近い豊島区の長崎地区にアトリエ付借家群である長崎アトリエ村が形成された。長崎アトリ工村は、長崎二丁目二五・
二六・三〇番にかけての「さくらが丘パルテノン」、要町一丁目二八・三二・三七番にかけての「すずめが丘アトリ工村」、千早二丁目三〇番の「つつじが丘アトリエ村」の三箇所が主要なものであり、この説明板が立つ場所一帯はさくらが丘パルテノンがあった部分に該当する。
 さくらが丘パルテノンは、昭和十一(1936)年から十五年にかけて、アメリカ帰りの資産家初見六蔵(はつみろくぞう)が建てたもので、か
つては六十軒以上の借家があったという。各家の道路沿いに一本ずつの桜の木が植えられたため、この名称で親しまれた。アトリエ村の借家は、赤いセメント瓦の屋根に板張りの壁の平屋であった。北側が十五畳ほどのアトリエで大きな窓や天窓があり、石炭ストープやシャンデリアも付いていた。一方、居室部分は三畳か四畳半と狭く、その他玄関を兼ねた土間に流しが置かれ、便所が付くだけであった。絵画や彫刻を勉強する学生向けの、モダンではあるが簡素な住宅であったといえる。彼らは集団で住み、創作活動に励み、議論をたたかわせ、ともに遊びもした。ここでの活動を足がかりにして、のちに多くの芸術家が巣立っていったのである。
 なお、豊島区立郷土資料館(豊島区西池袋二ー三七ー四 区立勤労福祉会館七階)に長崎アトリエ村の復元模型が展示されている。









◆中高生センタージャンプ長崎



豊島区の施設。
『ジャンプ長崎は中高生が作る中高生のための居場所』と紹介されていた。
中高生センタージャンプ長崎|豊島区公式ホームページ









続く。