2023/07/02 五郎久保稲荷神社




 当神社の創建年代は詳らかではありませんが、全国でも数少ない北向の稲荷神社で、「北向稲荷」とも呼ばれていました。
 稲荷神社は古来より五穀豊穣・福の神として信仰されていますが、当神社は、特に火災災害などの厄除けの神社としてご利益があると伝えられています。境内の手水鉢に天保六年(一八三五) 二月の銘がありますが、当時この地域は武蔵国豊島郡長崎村字五郎久保といわれていました。当神社の名称もこの地名によるものです。
 なお、旧字五郎久保は、明治時代に入り五郎窪と改称され、その後町制等の変更により、「南長崎三丁目南部・同四丁目・同五丁目」となっていますが、長崎村の時代より氏神として地元氏子により厚く守られ、現在に至っています。
一、初午祭、二月初めの午の日
昔、農家では田畠の仕事始めに初午祭を行ない、その年の豊作を祈ったと伝えられています。
一、例大祭 九月の第二日曜日
江戸時代には当神社を氏神として五郎久保地区独自の例祭が行なわれていましたが、明治五年(一八七二) 長崎神社が村社になると、長崎神社の例大祭に準じて催されるようになりました。
一、神輿(みこし) 九代目後藤直光作
境内地に安置されている「五若神輿」は、五郎久保の頭文字をつけたもので、昭和九年に氏子有志により新調された総欅造りの神輿です。内側に金箔を施した一刀彫(いっとうぼり)で、台座は二重台にして揺れを和らげる仕掛けがあります。 蕨手(わらびて)の屋根は鳳凰を頂き、屋根地は漆の梨地仕上げの格調高い造りとなっています。
一境内別社 榛名神社
群馬県榛名山にある榛名神社末社で、鎮火・開運・五穀豊穣の神として信仰されています。





榛名神社





◆鳥居





◆豊島区立南長崎五丁目稲荷神社境内仮児童遊園

境内は公園になっていた。





少し遠くから

木が立派だった。





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