2021/07/25 小菅・綾瀬散歩 06 小菅の風太郎/レンゴー葛飾工場/白鷺公園/蓮昌寺板絵類・古隅田川を巡る歴史/白鷺橋/一の瀬商店会/袋橋公園/古隅田川遺構

綾瀬川通りを白鷺公園まで北上後わき道に入って北西へ進む。




◆小菅の風太



 江戸時代、ここには水戸佐倉道という街道が通っていました。 さる藩の大名行例がこの辺りで突然一陣の風が吹かれ街道沿に植えられだもろこしが澱様の乗る馬に絡んだために、
絶様が溶馬してしまいました。 殿様はもろこしに八つ当たりする次第。畑の持ち主の源殿は許しを請いましたが聞き入れられず、哀れ手討ちとなってしまいました。何年か後、あ
の殿様一行が同じ場所でまたも突風に吹かれました。すると、 どこからともなく「風よ吹くな!殿様に殺されるよー」という怨めしげな声が聞こえ、一行は怯えて逃げ出したそう
です。 その後も風が吹くと 「風よ吹くな!殿様に殺されるよー」 という声がどこからと郷こえたそうです。


橋(名前わからず)




隅田川緑道案内図









レンゴー葛飾工場

レンゴー株式会社(英文社名 Rengo Co., Ltd.)は、大阪府大阪市北区中之島二丁目に本社を置く板紙・段ボールを中心とする紙製の包装資材を製造・販売する企業である。板紙や段ボールの業界では最大手である。 』
レンゴー - Wikipedia









◆白鷺公園










◆蓮昌寺板絵類・古隅田川を巡る歴史

両方とも鳩の糞が酷い・・・・・。



 蓮昌寺には区指定文化財の木版彩色画(絵馬)が保存されています。 記されている紀年か
ら、文久2年(1862)~昭和14年(1939)までの間に寄進されたことがわかります。
描かれている絵は、儒教関係の図が多く、そのほか. 収響図能楽翁の図などがあり、蓮昌寺を中心とする信仰の形態を示す資料として貴重です。
 蓮昌寺は、正安2年(1300) 創建と伝えられています。



 東京低地は、関東諸地域の河川が集まり東京湾に注ぐ全国的にも屈指の河川集中地帯です。これらの河川によって上流から土砂の堆積作用が促され、海だったところを埋めていきます。
 特に利根川は東京低地の形成に重要な役割を果しています。利根川が現在のように鬼怒川と合流し、その後千葉県銚子で太平洋に注ぐようになったのは、江戸時代初期に行われた改修のためです。
 利根川は古くは足立・葛飾両区の間を流れる古隅田川、江戸川、中川が、その支流となり東京湾へ注いでいました。足立区と葛飾区が直線的ではなくて、なぜくねくねと曲がりくねっているのかと疑問をもたれる方も多いと思います。
 実は古隅田川の流路が区境となっているからです。足立区と葛飾区の境は、歴史的に見ると古くは武蔵・下総国の境であり、それが現在まで受け継がれているのです。
 古隅田川は足立区千住付近で入間川と合流し、現在の隅田川沿岸地域でデルタ状に分流しており、この付近に寺島・牛島などの島の付く地名が多いのは、その名残です。
 現在のように古隅田川の川幅が狭くなってしまったのは、上流での流路の変化や利根川の改修工事によって次第に水量が減ってしまったせいです。今では、古代において古隅田川が国境をなした大河であったことをしのぶことはできませんが、安政江戸地震1855年)が襲った際、亀有など古隅田川沿岸地域では液状化によって家屋、堰に被害が出たという記録が残っています。その原因は古隅田川が埋まってできた比較的新しい土地が形成されているためだそうです。
 地震災害は困ったものですが、見方を変えれば古隅田川が大河であったことを裏つけているのです。









◆白鷺橋

下は古隅田川











◆一の瀬商店会

商店街♪











◆袋橋公園









◆古隅田川遺構





現地には説明版など何もなかった。
google mapのマークの場所は上の写真の所辺り。
google mapのマークは「接続できません」のエラーメッセージが出るので、そのうち消えるかもしれない・・・。









続く。