2021/07/25 小菅・綾瀬散歩 05 小菅西児童遊園/水戸橋跡地/新水戸橋/小菅神社/小菅水再生センター東側施設/陸前橋

新水戸橋で綾瀬川の東側へ。
小菅水再生センター東側施設の後は綾瀬川通りを北上。



◆小菅西児童遊園







◆水戸橋跡地

【水戸橋·橋台の石組·綾瀬川
 ここに積まれた石組は、江戸.明治時代から桁橋の水戸橋を支えてきた橋台を受け継いだものです。この構造は、皇居 (旧江戸城) 内濠に架かる木造橋でである平川橋に名残を見ることができます。
 水戸橋が本格的な橋として架橋された年は定かではありませんが、 江戸初期の寛永年間(1624~1644) と考えられています。
 水戸橋が架かる綾瀬川の開削については、「西方村旧記付図」 (越谷市立図書館蔵)に、寛永年間に内匠橋付近(足立区)から小菅(葛飾区)を経て、隅田川合流地点まで堀替えた記録があります。

【橋名:みとはしの由来】
 地元に伝わる話によると、その昔、水戸黄門(光圏)一行が旅の途中、 小菅村に出没する妖怪を退治しました。その妖怪は、親をならず者に殺され、敵を討とうとした狸でした。子理が退治されそうになった時、近くのお地蔵様が身代わりとなりました。
 その事実を知った光圏は、後の世まで平穏となるようにと自ら筆をとり、傍らの橋の親柱に「水戸橋」と書き記したと伝わっています。
 また、水戸橋下流正覚寺には、身代わりとなったといわれているお地蔵様が安置してあり、お堂前の水舎には元禄十年(1697)の銘があります。

【水戸佐倉道)
 前方に延びる道は、東海道など五街道に付属する水戸佐倉道です。この街道は、日本橋を出発点とする日光街道千住宿(足立区千住)から分かれ、常陸国水戸徳川家の城下をつなぐ道でした。途中、 新宿(葛飾区新宿)では、下総国佐倉へ向かう佐倉街道に分かれました。
 これらの街道は、 土浦藩佐倉藩等が参勤交代に使う重要な道でした。享保十年(1725)八代将軍徳川吉宗が、大規模な狩りを小金原(千葉県松戸市)で行った際、水戸橋で下船して水戸佐倉道を通行した記録が残されています。







◆新水戸橋

下は綾瀬川









◆小菅神社


祖霊社


天満宮


田中稲荷神社


祓所


楽殿


鳥居


参道入口






◆東京都下水局東部第二下水事務所小菅水再生センター東側施設

綾瀬川をはさんで両方にまたがる施設なんだね。







◆陸前橋

下は古隅田川
『古隅田川(ふるすみだがわ)は、埼玉県さいたま市春日部市を流れる河川、および東京都足立区と葛飾区を流れる河川の名称。』
古隅田川 - Wikipedia









続く。