2021/09/01 堀切散歩 02 上千葉遺跡と普賢寺/随喜稲荷大明神/昌栄稲荷社/十寒稲荷/二葉商店会/九品寺/九品寺橋

まだまだ細い路地を南へ進む。



◆上千葉遺跡と普賢寺


出会いの川·古隅田川

 古隅田川流域は16世紀まで坂東太郎利根川の流木の一つで、 広大な河川敷であったと考えられている。利根川が江戸に泥濫を及ぼすために、 江戸時代初期から改修され、その本流を江戸川へ移し、さらに現在の流路に付け替えられて、鹿島灘へと注ぐようになった。のち旧河道(古利根川)が中川として新宿地点から南流すると、それまで西流して隔田川へ注いでいた河道は千上がり、 河底部が大きく蛇行して残った。
 これが古隅田川である。かくして広大な河原は17世紀半ば頃までには、次々と新田が開かれ、新しい村々が誕生した。
 古隅田川がまだ大河であった頃は、 武蔵国下総国の国境で、そのため足立区側(淵江領)は武蔵一の宮氷川神社を勧請して氏神とし、葛飾区側(葛西領)は下総一の宮香取神社氏神として祭り、その形態は今日にまで及んでいる。
 古隅田川南岸部に当たる亀有・小菅地区は利根川の運んだ土砂で自然堤防ができ、この砂州に中世期から村々が形成されていた。これらの古い村々からの文化が、淵江領の新田へ寺院進出に伴って伝わっている。淵江領の村々も、水戸街道に交通を依存していたから古隅田川に橋を架け葛西領に足を適んだ。
隅田川は元国境たったとは言え、沿岸住民にとっては切っても切れない出会いの関係で結はばれていたのである。


上千葉遺跡と普賢寺

 この遣跡の発見は古く、嘉永3年(1850)畑から壺とその中から古銭約1万5千枚が発掘されました。古銭は開元通宝・皇宋通宝・元豊通宝など中国からの輸入されたもので、壺は愛知県常滑で焼かれた13~14世紀の製品です。古銭出土地点周辺には 「城口(錠□?)」「ギョウブ(刑部?)」「クラノ内」などの字名があることから、付近に城館跡が存在していた可能性が高い地域です。また、付近には治承4年(1180)の開基といわれる古城の跡に建立されたとする普賢寺が在ります。当には、 都史跡に指定されている登痛
時代木期印の宝印際三基があり、葛西氏りのかりのものと伝えられています。



下は古隅田川











◆随喜稲荷大明神

随喜稲荷(ずいきいなり)



文字が判別できなかった・・・。










◆昌栄稲荷社



文字が判別できなかった・・・。










◆十寒稲荷

十寒稲荷(じっかんいなり)










◆二葉商店会

商店街♪











◆九品寺


九品佛


六地蔵


地蔵尊


「いつでも夢を」 歌碑

佐伯 孝夫 作詞

『佐伯 孝夫(さえき たかお、1902年11月22日 - 1981年3月18日)は、日本の作詞家。東京市出身。本名、和泉 孝夫(いずみ たかお)。』
佐伯孝夫 - Wikipedia



「いつでも夢を」の歌詞が刻まれていた。


山門









◆九品寺橋

九品寺通り側



鈴懸の径(すずかけのみち)側


鈴懸の径

佐伯 孝夫 作詞
「鈴懸の径」の歌詞が刻まれていた。
この裏側は上記の九品寺。











続く。