2021/08/12 綾瀬散歩 05 隅田橋/古隅田川を巡る歴史/宿添橋/地下鉄千代田線高架/綾北橋/五兵衛新橋/馬頭観音

まだまだ西へ移動し、五兵衛新橋で綾瀬川を渡る。



◆隅田橋

隅田川跡。











◆古隅田川を巡る歴史

 東京低地は、関東諸地域の河川が集まり東京湾に注ぐ全国的にも屈指の河川集中地帯です。これらの河川によって上流から土砂の堆積作用が促され、海だったところを埋めていきます。特に利根川は東京低地の形成に重要な役割を果しています。利根川が現在のように鬼怒川と合流し、その後千葉県銚子で太平洋に注ぐようになったのは、江戸時代初期に行われた改修のためです。利根川は古くは足立・葛飾両区の間を流れる古隅田川、江戸川、中川が、その支流となり東京湾へ注いでいました。足立区と葛飾区が直線的ではなくて、なぜくねくねと曲がりくねっているのかと疑問をもたれる方も多いと思います。 実は古隅田川の流路が区境となっているからです。足立区と葛飾区の境は、歴史的に見ると古くは武蔵・下総国の境であり、それが現在まで受け継がれているのです。古隅田川は足立区千住付近で入間川(私注;現在の隅田川)と合流し、現在の隅田川沿岸地域でデルタ状に分流しており、この付近に寺島・牛島などの島の付く地名が多いのは、その名残です。現在のように古隅田川の川幅が狭くなってしまったのは、上流での流路の変化や利根川の改修工事によって次第に水量が減ってしまったせいです。今では、古代において古隅田川が国境をなした大河であったことをしのぶことはできませんが、安政江戸地震1855年)が襲った際、亀有など古隅田川沿岸地域では液状化によって家屋、堰に被害が出たという記録が残っています。その原因は古隅田川が埋まってできた比較的新しい土地が形成されているためだそうです。地震災害は困ったものですが、見方を変えれば古隅田川が大河であったことを裏つけているのです。



右側が前の日記、「下川原公園」










◆宿添橋

隅田川跡。











◆地下鉄千代田線高架

上で車両が待機していた。
綾瀬駅北綾瀬駅の間にある高架。












◆綾北橋

八か村落し親水緑道ということで良いのだろうか?
あまり信用度の高い情報が得られない・・・・。
橋を横切る大きな道路は江北橋通り。


参考
江戸史蹟散歩 八か村落とし












◆五兵衛新橋
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上の道路は首都高速6号三郷線。
下の川は綾瀬川

















続く。