2021/07/25 小菅・綾瀬散歩 10 内匠本町児童遊園/七福大明神/浮花橋/長建寺/橋戸稲荷神社/下沼排水管/不動院

北上して綾瀬川に突き当たる。
綾瀬川はこのあたりから北西へ流れを変える。
橋戸稲荷神社まで北西へ進んだ後は、今度は戻る。





◆内匠本町児童遊園










◆七福大明神











◆浮花橋

下は綾瀬川



川の反対側は埼玉県八潮市










◆長建寺


蓮華堂


観音堂


六地蔵


石塔


山門










◆橋戸稲荷神社












◆下沼排水管

すぐ後ろは綾瀬川










不動院


弁財天


石塔等


不動院庚申塔




 不動院山号を江亀山、寺号を薬王寺とする真言宗豊山派寺院である。寺伝によれば天喜二年(1054)、源範僧都開山とされ、本尊薬師如来を安置する。
 山門を入って右、本堂脇に立つ四基の石造物は庚申塔と呼ばれる。
 庚申塔は、我が国で平安時代以来盛んであった庚申信仰に基づいて造立された。この信仰は古代中国の道教から発生し、六十日でひと回りする十干十二支の「庚申」の夜、寝入ると体内から三尸という虫が天に昇りその人の日頃の悪事を天帝に告げ、寿命が縮まるので徹夜をして三尸が抜け出るのを防ぎ長寿を祈る俗信である。時代が下ると庶民にも広がり、江戸時代には村々に講が結成され、順番に宿を決め寄り集まって夜通し娯楽に興じることが主な目的となった。三年で結願とされ、庚申塔が造立された。
 庚申信仰が石造物として最初に現れるのは中世の板碑である。寛文七年銘の板碑型の形態は、庚申塔が板碑から他の形へ移行する過程で多く造立された。明和四年銘は駒型で、庚申塔として最も典型的な青面金剛が陽刻される。この二基は、複数の造立者名とともに三猿を刻んでいる。年不詳の庚申塔は、角柱型で青面金剛が邪鬼を踏んでいる。弘化三年銘は駒形で、「庚申塔」と文字が刻まれている。台石には、「榎戸講」というこの付近にあった講の名が刻まれている。一般的には青面金剛等の主尊を刻まず、文字を刻む庚申塔は、新しいものが多く、この庚申塔も江戸時代末期に造立されたものである。
 四基の庚申塔は、旧花又村内に造立されたものが後に不動院に集められたと思われる。江戸時代の地域の信仰や習俗を知る資料として、いずれも平成十八年三月に足立区登録有形民俗文化財となった。









続く。