2021/06/20 西新井散歩 06 蓮池/成田山高野講/吉祥院境外仏堂・阿弥陀堂/足立区興野区民農園/足立区立興野二丁目児童遊園/興野西庚申塔/稲荷神社

日暮里舎人ライナー高野駅からは北東へ歩く。
農地と住宅地が入り混じって思っていた以上に大変だった。



◆蓮池



google mapの赤丸の場所。
農家さんなのかな?








成田山高野講








吉祥院境外仏堂・阿弥陀堂


庚申塔

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◆足立区興野区民農園

HPがあった。
区民農園の貸し出しについて|足立区








◆足立区立興野二丁目児童遊園








◆興野西庚申塔



 三基並んだ石造物のうち、右端と中央の石塔は庚申塔と呼ばれるものである。
 庚申塔は、我が国で平安時代以来盛んになった庚申信仰に基づいて造立された。この信仰は中国の道教の考えから発生し、六十日でひと回りする十千十二支の「庚申」の日の夜、寝入ると体内に宿る三Pという想像上の虫が天に昇りその人の日頃の悪事を天帝に告げて死に至るので、徹夜して三尸が抜け出るのを防ぎ長寿を祈るという俗信である。時代が下ると地域の中で講をつくり、順番に宿を決め夜通し娯薬に興じることが主な的になった。講員は教年ごとに供養のために、庚申塔を造立した。
 庚申塔には様々な形式がある。寛文十年(1670)に造立された右の塔には、中ほどに三猿(見ざる・言わざる・聞かぎる)が陽刻きれている。その下には、十名の講員の名が彫られている。中央の塔は、左倒面に正徳四年(1714)の年号が刻まれている。塔の中央には青面金剛が、邪鬼を踏み付けるが表現されている。この塔は、十三名の講員が見えている。なお基礎石に三猿が刻まれている。
 かつて足立区周辺では庚申講が盛んで、現在でも多くの庚申塔が残されている。二基の塔は江戸時代のこの地域でも、この習俗が行われていたことを示すものとして足立区登録有形民俗文化財になっている。



ここに造立されているに期の庚申塔は、、平成二十年三月に、足立区教育委員会により「足立区登録有形民俗文化財」に認定されました。名称は次の通りです。
右側「庚申塔 (寛文十年銘)」
左側「庚申塔 (正徳四年銘)」









◆稲荷神社









続く。