2021/09/01 堀切散歩 01 綾瀬駅/綾瀬駅前/綾瀬北野神社/養福寺/玉の湯/綾瀬二丁目アパート/綾瀬二丁目ふれあい公園

24時間勤務アケで、綾瀬駅から堀切菖蒲園駅近くを経由して北千住駅まで散歩。





ここでは、綾瀬駅南側エリアを散歩。
どんどん南へ進む。



綾瀬駅

スタートのJR常磐線綾瀬駅















綾瀬駅












◆綾瀬北野神社



祭神 菅原道真公、宇迦御魂之命
当神社創立の儀は人皇104代柏原天皇の御宇起源千百六拾四年永正岩元年八月にして葛西青砥村新義真言宗宝持院の開基し薬師如来を本尊とせる養福寺を建立し本寺を別当を定む。当時この地域に天神社稲荷社第六天社八幡社の祀あり右四社を合祀し養福寺の隣地を神域と定め社殿を建設し天神社稲荷社を奉斎し社号を北野神社と称し第六天社八幡社を境内末社に奉遷し普賢寺村全域の鎮守と定む。
然るに安政二年十月江戸大地震にて社殿悉く倒壊し当時氏子四十数戸にして再建し現在に至る。この間土地の発展と人類の幸福ととに御加護を垂させ給ひ御神徳は四方に普く光り輝き殊に氏子の信仰はますます深まり御神威愈々高く拝す。慈に明治百年の式典を記念し有志相挙って燈篭一基を奉献しこの碑を建立す。


イチョウ

 本田の両脇に在る保存樹のイチョウは、神社のシンボルとして遠くからでもよく目立っています。落葉などの管理には心を配っていますが、地域の貴重な大珠として皆さんのご理解を得ていつまでも大切にしたいと思います。


境内社


石祀型庚申塔



 庚中塔は庚申信仰をする庚中諜の人々によって造立された塔である。
 庚申とは、十千の庚(かのえ)と十二支の申(さる)とが結び付いた六十日に一回巡ってくる日や年のことを指す。
 庚申の日には、人間の体内にいる三戸という虫が睡眠中に抜け出て天帝に罪過を告げるため寿命が縮むという説が中国の道教にあり、これが日本に伝わり信仰された。庚申の夜には眠らずに過ごす守庚申(まもりこうしん)に、礼拝本尊や宗教儀礼が組み込まれた庚申待が室町時代の中頃から行われるようになり、江戸時代に入ると一般的にも浸透し、各地に庚申講が結成され、供養のための庚申塔が多数造立されるようになった。庚申塔の形態、様式は多様であり、形態は一般に笠付型、駒型、舟型などいくつかに分類することができる。
 この庚申塔は石祀型といわれ、社殿の形を模したものである。右は元禄八年(1695)、左は同十三年(1700)の造立で、それぞれ「奉造立石之宮殿第六天村中庚申供養」、「庚申供養奉造立石宝殿一宇二世安薬処」とある。石祀型庚申塔は東京都内では類例を見ない珍しいものである。
 昭和六十二年十一月、足立区有形民俗文化財に登録された。


撫牛



天神様といえば、梅がよく連想されます。
しかしまた、天神様と牛とは古来数々の伝承から縁の深い関係があります。
例えば、天神様は牛年生まれで、亡くなったのも牛年でした。
九州に左遷されその西下の途中、白牛に身を救われたこともありました。このように天神様と牛とは史実や逸話に伝えられている通り、神秘的な御神縁があります。ですから牛は天神様のお使いとして篤く信仰されています。
そして、天神様を守り、人々をも護ることから『神牛・随牛』と称えられ、そのお陰げを横たわったおおらかな姿から頂こうと寝牛・座牛が造られるに至りました。
後年これを『撫牛(なでうし)・臥牛』と呼んで親しみをもって撫でるようになり、今では、天神様を拝んだ後に立ち寄って、良い知恵を授けて頂こうと頭を触ったり、病んだ所をさすっては傷みを取ってもらおうとするようになりました。


楽殿


鳥居1


鳥居2











◆養福寺


保存樹木 くすのき

 この木は、区指定保存樹のクスノキの中で一番太いものです。大地に根差す根も太くなって、記念碑や縁石なども持ち上げています。樹齢は定かではありませんが、寺とともに歴史を刻んで大きく育っています。












◆玉の湯

銭湯♪












◆綾瀬二丁目アパート













◆綾瀬二丁目ふれあい公園














続く。