2021/09/01 堀切散歩 04 旧小谷野小学校/宝性寺/首都高 小菅インター/土橋観音菩薩/小菅東公園歩道橋/小谷野神社/綾瀬水門

どんどん西へ行き、首都高速中央環状線綾瀬川にぶつかる。



◆旧小谷野小学校

今は、「こやのエンジョイくらぶ」となっている。
こやのエンジョイくらぶ

前の日記「小谷野しょうぶ児童遊園」の後ろに写っていた建物もこの小学校の校舎。

2001年小菅小と合併して「こすげ小」になったとあった。
東京都小学校の廃校一覧 - Wikipedia










◆宝性寺


大師堂


山門










◆首都高 小菅インター










◆土橋観音菩薩











◆小菅東公園歩道橋

上は首都高速中央環状線
下は新荒川火災堤防線。



さらに上の道路に出られるようだが、今は行けないみたいだ。












◆小谷野神社



当神社は祭神として宇迦之御魂神を祭りもと稲荷神社といったが、昭和三十九年八月住居表示の実施により、氏子区域である小谷野朝の地名が整理統合され、堀切二丁目・五丁目の各一部と四丁目に改められたので、これを期に昭和四十三年五月元の地名をとって社号とし小谷野神社となったものである。

創立の由緒
年代は明らかでないが、元禄十年の検地帳にその名が見えているので創祀の年代はそれ以前であることは間違いなく、一説に旧別当宝性寺が再興された当時、小谷野村の鎮守紙として祭られていたものといわれ、その年代は天正年間と推定される。また、小谷野ははじめ小谷野柳原村と称したが、右検地から小谷野村と柳原村とに分離独立したもので、かつてこの地から文明三年その他二、三の板碑が発掘されているので、室町時代までに人家が存在していたものと思われる。
境内の三峯水天宮の二社は、もと現在地より南西約三百五十米の小菅、小谷野を経て鐘ヶ淵にて隅田川に合流する綾瀬川のほとりに奉祀されていたが、明治四十四年より十二ヵ年余の歳月を費やして完成された川口東京湾間の荒川放水路開削により、水天宮社は新設された隅田川水門際に、また三峯社は現堀切橋木和への遷座を経て現在地に祀られてものである。
なお荒川放水路開削当時、小谷野村の総面積約三十六町歩余、戸数二十七戸であり、右開削による土地収用のため其の後二十戸に減ったが、大正十二年関東大震災後に発展し現在に至っている。


楽殿


水天宮/三峯神社



石灯籠
この石灯籠は江戸時代後期、文化の時代に作られております。



錨?


水天宮/三峯神社 鳥居


小谷野神社 鳥居










◆綾瀬水門

WEBで調べたのだが、どんな機能があるかなどはあまり情報が載っていない。










続く。