2021/10/29 平井・亀戸散歩 05 和牛処やまだいら/やくしみち道標/八広駅/宝蔵寺/更生橋歩道橋/三徳湯/寺島浴泉

八広中央通りを北東へ進み、ゆりのき橋通りに出る。
ゆりのき橋通りを北西へ進み八広駅の写真を撮った後は、八広駅北側エリアにあるスポットを巡って水戸街道をを南西へ。





◆和牛処やまだいら



 この建物は、新潟県山平村(現、十日町市(現、十日町市松代)にて、昭和二十九年まで県内で只一軒の 茅葺き屋根の役場として知られていました。
 その後、山平屋初代社長樋口大吉樣の実家として使用されていた建物を、平成二十五年に当地に移築、再建したものです。
 現行の建築基準法、消防法に適合した建物として設計され、内部は古民家造りとなっております。
 そして、此の建物に合ぅよぅに実物 の水車を配置しましたが、この水車は岐阜県高山に現存するものを、東京東信用金庫樣が寄贈されたものです。













◆やくしみち道標



 この道標は、木下川薬師への道しるべで、享保年間 ( 1716~36 )に八代将軍吉宗が薬師参詣の際、大畑村 ( 現八広周辺 ) の人々に道の要所に建てさせたものといわれています。
 木下川薬師は天台宗寺院浄光寺のことで、貞観二年 ( 860 ) に創建されました。本尊の薬師如来伝教大師作といわれ、「江戸名所図会」 には 「木下川薬師堂」 と紹介され徳川家祈願所として、江戸の多くの人々が参詣した関東屈指の古刹です。
 かつての浄光寺は現在の木根川 橋のやや下流、川の中央辺りにありましたが、荒川開削に伴い、葛飾区東四ツ木一丁目に移転しました。 この道標も開削以前はこの場所でなく、他の場所からうつされてきたものと考えられます。
 向かって正面に 「 右 やくしみち 」 右面に 「 左 えと ( 江戸 ) みち 」 左面に 「 大畠村講中 」 と刻まれており、長い間この道標が薬師参りの人々のために道案内の役割を果たしてきたことがわかります。
 薬師道のかつての道筋は、白髭の渡し ( 堤通一丁目交差点の辺り ) から東に向い、曳舟川で薬師橋 ( 現在の八広一・東向島六交差点 ) を東進し、この道標を北上した辺りでゆるやかに右折して薬師堂に続いていました。




google mapには載っていなかった。
現在地を示す青いマークの場所が上の写真のところあたり。













八広駅

京成線八広駅















◆宝蔵寺


地蔵


石塔


山門













◆更生橋歩道橋

「X」字型の歩道橋。
下はゆりのき通りと曳舟川通りの交差点。
昔はここに曳舟川にかかる更生橋があったとのこと。

参考
更正橋・墨田区の記憶・6… - Line Buffer Overflow…


















◆三徳湯

銭湯♪



更生橋歩道橋から













◆寺島浴泉

銭湯♪














続く。