2022/09/15 東久留米散歩 02 コスモス 東久留米足立店/門前氷川神社/庚申塔/東久留米氷川台二丁目アパート/金山森の広場/グリーンヒルズ東久留米/海軍大和田通信隊跡

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/203000






◆コスモス 東久留米足立店

初めて見たかも。
『コスモスジャパン株式会社(Cosmos Japan Co.,Ltd.)は、ボランタリーチェーンで展開するコンビニエンスストア会社である。本社を千葉県松戸市に置く企業である。』
コスモスジャパン - Wikipedia











◆門前氷川神社



 氷川神社の全国に二八八社数えるが、そのほとんどが荒川と多摩川に挟まれ一帯に集中、本社に埼玉県大宮市に鎮座する。祭神に須佐之男命、奇稲田姫(くしなだひめ)子神大国主神「ひかわ」とは本来「日川」のこと
福をもたらす太陽と水の信仰に由来するという。また、出雲族武蔵国造となって移住し、出雲の神々を祀ったもので氷川は出雲の簸川(ひのかわ)に因むという。











庚申塔



 江戸時代に盛んになった民間信仰の一つに庚申信仰があります。六〇日ごとの庚申の日の夜、眠っている人の体から三尸の虫が脱け出て、その人の罪を天帝に報告するという道教の思想からきたとされています。そこで、人々は庚申の夜には儀式や宴会をしてすごしました。
 庚申塔はその信仰を表すもので、江戸時代中頃から造立が盛んになりました。
 この庚申塔享保一九年(一七三四)の造立で、 青面金剛、日月、邪鬼、二鶏(にけい)、ショケラ、三猿が配されています。 「惣村(そうそん)供養仏」の銘文のほか、供養した多くの男女の名前が刻まれています。




近くを飛んでいたヘリ











◆東久留米氷川台二丁目アパート












◆金山森の広場



 東久留米金山緑地保全地域は、 武蔵野台地の北東に位置し、標高は45~50mです。 台地の平坦な樹林と黒目川によって造られた崖線からなる地域です。 樹林区域の主要部分はコナラやクヌギの雑木林です。 南側及び東側の区域はケヤキシラカシで構成された樹林になっており、 崖線に面した区域はアカマツ林となっております。 東京都は、 ここを 「東久留米金山緑地保全地域」 に指定し、 将来にわたって守っていくことにしました。












グリーンヒルズ東久留米













◆海軍大和田通信隊跡



 昭和11年(1936) に埼玉県北足立郡和田町西堀に開設された旧日本海軍の外国無線傍受専用受信所の中心的な施設で、翌年に「東京通信隊大和田分遣隊」 となり、昭和16年 (1941) には 「大和田通信隊」 として独立しました。大和田町の受信施設を中心に、 東京都北多摩郡清瀬村下清戸、同久留米村神山に及ぶ本隊、清瀬村中清戸の副受信所の3町村にまたがる広大な面積を有し、 久留米村には字神山の平坦地に関連施設やアンテナ群が設置されました。久留米村部分の面積は明確ではありませんが、 海軍施設所有地約1.2ヘクタール、アンテナ等敷設の海軍占有地約200ヘクタール程(現在の上の原一丁目、二丁目内) と推定されます。
 戦後、 久留米村の用地の大部分は国有地となり、 昭和37年 (1962) に日本住宅公団の大規模な 「東久留米団地」が建設されました。 また、 久留米村の通信施設の一部は米軍の 「大和田通信所」 の基地となり、 その後、昭和38年から昭和52年まで運輸省航空交通管制本部として利用されました。 現在、旧海軍通信施設としての遺構等は全く存在しませんが、 上の原二丁目の南西端より 「海軍用地」 の境界杭が発見されており、この地に旧海軍の施設が存在したことを記憶にとどめるため、 戦争遺跡として旧跡に指定しました。 なお、 旧跡指定は東久留米市域のみです。


近くを飛んでいた飛行機


上述の『「海軍用地」 の境界杭』

2022/09/17 撮影。











続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/213000