2022/09/28 大沢の里水車経営農家・新車(しんぐるま)


江戸時代の文化5(1808)年頃に創設。
昭和43(1968)年頃の野川の改修により役割を終える。
八代目当主の峯岸清さんが水車全体を大切に保存してこられた。







 峯岸家は江戸時代後期より、五代にわたって野川流域で水車経営に携わってきた農家である。
 現在、同家の屋敷地には母屋(文化十年(1813) 代頃建築)と、隣接するカッテ(大正末年)、土蔵(明治九年(1876))、物置(大正期)、水車装置が備えられた濃屋(水車小屋) (昭和四十年(1965)から始まった野川の河川改修工事後建築)などがある。 敷地内にはこのほか、水車用の用水路跡や「さぶた」と呼ばれる水量を調整する仕切り ま板と排水溝跡、かつて使われていた通水橋の石造欄干なども現存している。
 武蔵野地域の水車は、江戸期以降新田開発に伴い開設が急増し、明治末期から大正期にかけて産業技術近代化の中で最盛期を迎え、昭和に入ると工業化が進み急激に減少している。このような中にあって峯岸家の水車は文化五年(1808)頃に創設され、その後数度の改造を加えながら今日まで)伝存されてきた。搗き臼や挽き臼など多機能性な両袖型の大型水車で、規模・形式ともに武蔵野を代表する営業用水車である。
 かつてのような水車のある風景が失われつつある中で、当地には、水車経営を行ってきた峯岸家の暮らしを窺わせる建物及び設備が現存している。武蔵野で営業を行っていた水車農家の旧態を良く留め、貴重な有形民俗文化財である。






母屋

建築年代は文化10(1813)年代頃(伝承)。桁行7間、梁間3間、屋根は茅葺の寄棟作り。建築面精は22.75坪、屋根裏では養蚕を行っていました。







水車

一番奥にあるのが水車小屋。
水のエネルギーをうけて回るところ。直径約4.6m、幅約1m、14個のハコとよばれる部材を、車軸から放射状に伸びるクモデという市中で支え、水輪が構成されています。
現在の水輪は、国際基督教大学から寄贈を受けた赤松を使用し、クラウドふぁうんディングを活用して、多くの市民から寄せられた寄付金により、令和3年3月に設置されたものです。








水車用用水路跡・通水橋



 左下に見える水車用用水路跡 (暗渠部分 幅約1.5m、深さ約0.8m、長さ約10m) の一部は、 野川の水を利用して水車を廻していた時のものです。 野川から取り入れた水を水車にかけ、その後はトンネルの水路 (暗渠) で再び野川に戻していました。
 今、歩道になっている所は、 以前田んぼに使う水を流していた水路の跡です。この田水路と水車からの排水路(現・暗
渠部分) は立体交差していました。 この立体交差の田水路の両脇にあったのが左下の通水橋の欄干です。欄干は片側のみが保存され、現在の場所に移されました。






水車

こちらは少し離れたところにある水車。






一度来たことがある。
2017/09/21 調布散歩 04 大沢の里水車経営農家 - ovanの社会科見学

この時はまだ水車が古く、止まっていた。

2017/09/21 撮影。






大沢の里水車経営農家・新車(しんぐるま)のHPはコチラ↓
三鷹市 |大沢の里水車経営農家・新車(しんぐるま)



場所はコチラ↓



休館日
火曜日(火曜日が祝日の場合は、その翌日)、年末年始(12月28日から1月4日まで)
とありましたが、行かれる方は事前にHPなどチェックしてから行ってくださいネ!