2023/03/09 花小金井・萩山散歩 07 萩山第2児童遊園/人形劇団ポポロ/西武拝島線踏切/萩山八幡神社/水の碑・萩の咲き乱れた萩山町/萩山駅前/萩山駅

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/09/203000_1




◆萩山第2児童遊園





◆人形劇団ポポロ

HPとTwitterのページがあった。
人形劇団ポポロ

人形劇団ポポロ@SINCE1972* (@PopoloPuppet) / Twitter




西武拝島線踏切

西部市拝島線の踏切。








◆萩山八幡神社



萩山八幡神社 由来
祭神 第十五代 心神天皇
諱は誉田別尊 ほんだわけのみこと
古来より、現在地に『八幡宮』として奉祭されていた模様であるが縁起、創建時期は定かではない。この地に、小さな『八幡宮」と刻まれた石の祠のみがあった。その「石の祠」には左記の文字が刻まれている。
裏面  元文元丙辰年除地賜之
    慶応三丁年再建之
右側面 東側 南北六十間
    北  東西九十二間二尺
正面  八幡宮
左側面 武州多摩郡野口村
    別當 正福寺
「石の祠」の裏に刻まれている、元文元年丙辰年は1735年に当たり、今から281年前で、その年に宗教であることを理由として、境内敷地が「除地」つまり年貢を免除されたであろうと推定される。従って、創建はその年、或いはそれ以前、つまり280年以上の歴史を有する古い社ということになる。また、古老の話によると、この「八幡宮」は「正福寺」の守り神 (別当)として鎮座していたか、「正福寺」が「八幡宮」の(別当)であったのではと推定される。
「石の祠」は社殿の下に祀られている。







◆水の碑・萩の咲き乱れた萩山町


萩の咲き乱れた萩山町

 武蔵野と呼ばれるこの辺りは、昔から雑木林が多く、萩の花が咲き乱れていたことから駅名も萩山と名付けられ、また、萩山町の由来ともなりました。
 この地が郊外の住宅地として急速に発展したのは、大平洋戦争後のことです。昭和三十年ごろから江戸街道沿いの畑も次第に宅地となり、農家の屋敷森も次々と伐りとられ、いつしか沿道には家々が連なるようになりました。
 幸いなことに萩山駅周辺には、公園、寺院、官舎、病院などがあり、他の地域よりも緑が多く残っていました。 この恵まれた環境を守り、また、絶やさぬようここに萩の木を植え、増やしていくこととなりました。
 この地を訪れる方々には、美しい萩の花が咲く姿から、いにしえの武蔵野の面影を偲んでいただけたら幸いに存じます。

咲けばこそ人も寄るなり萩の山








萩山駅

(北口)



(北口)



(南口)





萩山駅

北口



南口




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ほとんど自転車道を散歩した感じ。
天気もよくて気持ちよかった。