前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/29/140000
この緑地は、昔、この付近が亀久保という字名で呼ばれた頃からの、古い自然の姿を残している貴重な場所で、 クヌギ、コナラ、クリ、エノキ、ケヤキ、エゴノキ、マユミ、ゴンズイ、ムラサキシキブなどの落葉樹で構成されている樹林です。 また、野草のホトトギスが自生している市内唯一の場所で、小さいながらも貴重な樹林地です。
貴重な自然を末永く、保存していくため、 皆さんのご協力をお願いいたします。
この公園には、ナナカマドがシンボルツリーとして植えられています。
日本原産の落葉高木で、7回かまどに入れてもまだ燃えつきないぐらい燃えにくいところから名前が付けられたともいわれています。
初夏には白い花を付けて、秋には赤い実と紅葉が美しく、 わたしたちの目を楽しませてくれます。
みんなで美しいみどりを守りましょう。
◆亀久保田圃と溜池跡
亀久保は、市杵島神社のある小高い台地の西側の仙川沿いの凹地で、地名の起りは、台地の形が亀に似ているからともいわれています。かつてこの凹地に亀久保田圃と呼ばれる水田がありました。
この付近は、江戸時代の享保年間(1716~1736)に開発された下小金井新田で、水に乏しい土地柄のため、再三幕府に玉川上水からの分水を願い出て、ようやく許可されました。また、水田を潤すため、この近くに溜池が造られ、分水から田用水を引き入れていました。
玉川上水の分水を利用して武蔵野段丘上に開かれた水田は少なく、貴重なものでしたが、明治三十九年(一九〇六)頃、分水の使用権が大蔵省印刷局(現北区王子・千川上水利用)に買い上げられたため、
亀久保田圃と溜池はなくなりました。
明治の終りから大正時代には、田圃の跡で凧揚げや打上げ花火が盛大に行われました。その後畑になり、戦後は住宅地や大学等に変わり、かつての水田や溜池の面影はありません。