2023/10/05 東大和市・国分寺 05 小祠/上水本町第1児童公園/小平市ふれあい下水道館/久右衛門橋/新堀用水/津田塾大学

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/05/203000




◆小祠






◆上水本町第1児童公園





小平市ふれあい下水道館

別のページで。
2023/10/05 小平市ふれあい下水道館 - ovanの社会科見学





◆久右衛門橋(きうえもんばし)

下は玉川上水





 現在の久右衛門橋は、本橋については昭和7年3月 人道橋については昭和48年3月にそれぞれ架けられました。
 久右衛門橋の橋名は、名主久右衛門の名前に由来していると言われています。
 江戸享保年間に、徳川幕府第8代将軍吉宗により新田開発が奨励され、 新田開発が盛んになりました。 これにより玉川上水の南側の新田開発が行われ、この開発に伴って、ここに初めて橋が架けられたものと思われます。
 東京都では、平成3年度に行った久右衛門橋整備工事において、まわりの環境に留意し、 現橋のイメージを大切にしながら、 本橋と人道橋を一体化し、 鋳鉄と石を用いてアカデミックな橋とするべく、 親柱や高欄、 歩道舗装の改善などをおこないました。


玉川上水

清流の復活 ー玉川上水
 玉川上水は江戸時代の承応2年 (1653) 年、人口が急増した江戸の飲料水確保のために作られた水路です。
 この上水は、江戸市中への飲料水の供給という目的以外に、 武蔵野台地の各地に分水されて飲料水 ・ かんがい用水・水車の動力などに利用され、 武蔵野の発展に大きな役割を果たしました。 水路は明治時代以降も淀橋浄水場 (新宿区) への導水路として使われていましたが、 新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止により、 昭和40(1965)年以降、 小平監視所より下流は水の流れが途絶えました。
 その後、多摩川上流水再生センターで高度処理された再生水を利用した東京都の 「清流復活事業」によって、昭和61(1986)年8月から、 玉川上水小平監視所より下流側に再び清流がよみがえりました。

 玉川上水は、高い歴史的価値を持ち自然豊かな憩いの空間であることから、 東京における自然の保護と回復に関する条例に基づき 「玉川上水歴史環境保全地域」に指定されています (羽村取水口から四ツ谷大木戸までの区間のうち開渠区間)。 玉川上水歴史環境保全地域では、貴重な植物を採る、 他の地域の生物を放す 植物を植えるなどの行為はしないよう、 水と緑の豊かな環境を大切にしましょう。


小平市デザインマンホール

こちらは別のページにまとめた。
2023/07/07 小平市デザインマンホール - ovanの社会科見学





◆新堀用水



 明治3年(1870) 4月、 この付近の玉川上水の北側の八か所に設けられていた分水口を一つに統合するため、 現在の小平監視所近くから玉川上水に平行して掘られた用水です。それまで玉川上水から直接取水していた村々の各用水は、この新堀用水から水を引くことになりました。 玉川上水が昭和61年(1986) の清流復活事業により小平監視所から下流は処理水が流れているのに対し、 新堀用水は、 多摩川の自然水が流れ、 ここから枝分かれした市内の各用水を潤しています。 小平の重要な歴史的文化遺産です。





津田塾大学 小平キャンパス

『津田梅子が設立した女子英学塾を前身とする。
英文学や国際関係学の分野で活躍する卒業生を多く輩出し、女性の社会進出に貢献した大学である。
女子差別撤廃条約批准や男女雇用機会均等法の設立時、津田塾大学卒業生の活躍がめざましく、一流大企業の重役、官公庁の女性職員の出身校が一貫して津田塾大学であった。卒業生らは「津田マフィア」という言葉で呼ばれていた。 』
津田塾大学 - Wikipedia





続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/05/213000