光あまねしの碑は秋津橋すぐ近くにあった。
「光あまねし」の由来
東村山市に市制がしかれる以前、この地は北多摩郡東村山町大字南秋津宇中央と呼ばれ、柳瀬川に沿って水田が大きくひらけた農村であった。昭和三十八年十月、この近くに居を移された詩人の草野心平さんはこの地をこよなく愛し「五光」と名づけた、「五光」とは自然のままという意である。間もなく東村山は町から市となり、このあたりにも人家が増えて、「五光」の名称を冠した自治会も誕生した。昭和四十六年六月ここ秋津橋のたもとに「五光」の碑が建られ、筆をとられた草野さんは地域の幸せを願って桧木の角柱に「光あまねし」としたためられた。以来十年、当初の墨痕もすっかり薄らいだため、昭和五十六年十一月、地元自治会をはじめ、市民有志の手によって、あらためてこの記念碑が建てられたのである。
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