2023/04/02 地蔵堂墓地




所沢七福神 「八国山・荒幡富士コース」 について
 中世に始まったと言われる七福神信仰は、爾来福徳の神として庶民に崇敬され、とくに江戸時代には七福神めぐりが大変盛んになりました。
 この度所沢にも令和元年を記念して、市民の生活に福運とうるおいをもたらそうと七福神めぐり 「八国山・荒幡富士コース」 が開場いたしました。
 所沢は古来より狭山丘陵の豊かな自然と緑に恵まれ、 柳瀬川沿いには平安、鎌倉、室町時代から続く歴史ある古刹が並んでいます。 その七ヶ寺に新しく七福神をお招きし祀りました。
 「八国山 荒幡富士コース」は所沢市内の代表的なハイキングコースでもあり、 途中に将軍塚、 鳩峯八幡宮、 荒幡富士、 市民の森などの景勝地があり、 春夏秋冬それぞれ趣があります。 また交通の便も良く、 所沢駅 西所沢駅 下山口駅 西武園駅に囲まれいずれの駅からも巡れます。
 全行程ゆっくり歩いて約4時間、 車なら1時間半です。 トコろんマーク入りの御朱印を用意してありますので、ハイキングを兼ねどうぞお揃いでご参拝ください。

所沢七福神めぐりごあんない
第一番 恵比須天
 平安時代の元慶2年(878年) 権大僧都寂寛によって創建されたと伝えられています。 柳瀬川の深い淵の上にあるので、 淵上山という山号です。 ご本尊様は不動明王で、秋津のお不動様と親しまれています。 弘法大師曼荼羅堂清龍伝説や、 民話 「カッパの詫び状文」 などで知られています。
 蛭子尊は、 右手に釣竿、 左脇に鯛を抱え、ふくよかな笑顔、 えびす顔をしています。 七福神の中で唯一の日本古来の福の神。 古くから漁業の神様とされていますが、 商売繁盛、五穀豊穣の神ともいわれ、広く民間から信仰を集めています。

第二番 大黑天
 長久寺は花向山常行院と号し、元弘元年(1331) に阿弥陀佛によって開山された所沢唯一の時宗の寺院です。 本尊は阿弥陀三尊で、領主中根氏の崇敬が厚く、以来念仏道場として現在に至っています。
 大黒天は、大自在天の化身ともいわれ、大国主命神仏習合したものです。 一度仏となったが、 人々に福徳を授けるために再びこの世に現われたと云われています。 大地を掌握する神様(農業)で、大きな袋を背負い、 打出小槌をもち、頭巾をかぶられた姿が一般によく知られていて財宝 福徳開運の神様として信仰されています。

第三番 福禄寿神
 延暦21年 (802年) 法印良秀によって開基されたと伝えられています。 元亀年間 (1570年頃)、 青梅金剛寺の僧侶円宥により中興開山されました。 以後真言宗豊山派の寺院となっています。 明治維新までは鳩峰八幡宮別当を務め、現在も神仏習合の名残が残されています。
 福禄寿は道教の神様で福(子孫に恵まれること) 禄 (富に恵まれること) 寿(長寿に恵まれること)の三徳を具現化したものです。 財運招福、子孫繁栄、延命長寿のご利益があると言われています。

第四番 弁財天
 大龍山永源寺と号する曹洞宗の寺院です。 応永年間に武蔵国守護代の大石信重により創建され、天文年間に北条氏照により中興されました。 天正19年には徳川家康より寺領30石を賜っています。
 弁財天は、七福神唯一の女神で、 芸能・音楽などの 「才の神」 や金運・財運・勝運などの「財の神」として昔から多くの人の信仰を集めています。 富山の弁財天は、室町末頃の1面8臂の宇賀弁財天です。 この弁財天は、武器以外に 「宝珠」と 「鍵」を持っています。 真言を唱え拝む事により招福・開運・金運・芸能学業のご利益が施されます。

第五番 寿老人
 荒幡山光蔵寺と号し、 真言宗に属します。 本尊は阿弥陀如来。 古い記録等が無く、 創建の年暦は詳らかではありませんが、 本尊の台座には、「弘法大師御作阿弥陀如来、 慶長元年四月初めに再興す ・・・寛永年間法印賢宥なる者復興の業を成す」 と記されています。
 寿老人は、 福禄寿と同じく星の化身で、 そのお姿は多様です。 当寺の寿老人は右手に杖を持ち、左手に長寿の印の桃を持っています。 富貴長寿の神として信仰されています。
 また、傍らにはうれしい事・悲しい事、何でも聞いてくださる、耳の大きな 「聞くぞう地蔵尊」 がいらっしゃいます。

第七番 毘沙門天
 山口城主一族の岩岡民部少輔道岩入道により、小手指原の戦いや、南北朝時代の動乱で討死した将士を弔うために文明元年 (1469年)に創建されました。 鎌倉扇ヶ谷の海蔵寺より尊 上人を招き、寺号を賜わりました。 本尊は釈迦如来。 江戸時代には当山13世住職の虚明僧正が大和国総本山長谷寺の能化 (住職) の座に就いたことにより、 出世釈迦尊、 出世寺海蔵寺と信仰を集めました。
 毘沙門天は、 元々インドの神様が仏教の守護神となりました。 戦いの神様として武将に信仰されましたが、 金運財運、商売繁盛の神様としても信仰を集めています。




◆一石六地蔵



 六角石柱の各面に蓮座に乗った地蔵菩薩立像が浮彫りにされている。頭部は圭頭といってとがっており、高さは六二㎝。
 銘文によれば、秋津の旧家角田氏の先祖が、 宝暦一〇年(一七六〇)と明和三年(一七六六)に亡くなった幼い二人の子供の冥福を祈って造立されたものである。
 市内には六地蔵は十一組あるが、そのうち九組はいずれも六体別々の丸彫りで、一石に彫られたものは多摩地域でも非常に少ない。
 地蔵信仰は古いものだが、江戸時代になると庶民の種々の民俗信仰の中に広まり、地蔵講もつくられた。 本市の地蔵立像も古くは一七世紀末より今日に至るまで、さまざまな願いを込めて造立されつづけている。




庚申塔




六地蔵




◆山門




◆山門




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