2023/03/06 所沢・新秋津駅 02 祠/山崎遺跡/百番供養塔/庚松堂霊園(庚申塔)/庚申塔(北秋津)・地蔵菩薩/北秋津富士塚/所沢市デザインマンホール

前回からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/04/190000_1



◆祠




googe mapには載っていなかった。




◆山崎遺跡

茶畑だね・・・・





◆百番供養塔





◆庚松堂霊園(庚申塔)

別のページで。
2023/03/06 庚松堂霊園(庚申塔) - ovanの社会科見学




庚申塔(北秋津)・地蔵菩薩





◆北秋津富士塚



 ここに築かれている塚は、富士講の中の官位講という講社が築いたものです。
 富士講とは、富士山を霊山として仰ぎ先達を中心として講社を結成する民間の信仰団体をいいます。富士山は神の住む山として古来から信仰されてきましたが、戦国時代末期に長谷川角行によって独特の布教による民間信仰としての富士講が成立しました。そして江戸時代になると角行の流れを受け継いだ食行身禄が、江戸を根拠地として富士信仰を説いて回り、富士講は江戸を中心として関東一円に普及しました。
 所沢市内の富士講も江戸時代後期の頃成立し、所沢・北秋津・安松・荒幡・南永井などで講社が結成されましたが、第二次世界大戦後は後継者もなくすたれてしまい、現在では石造物やわずかな資料だけとなってしまいました。
 この塚のある新井家は、前述した北秋津地区の富士講講社官位講の先達を務めていました。毎年七月一日には山開きの行事が現在も新井家によって行われています。
 塚の中腹には明治一八年(一八八五)建立の「富嶽 六十四度大願成就」と刻まれた碑がありますが、これは当時新井家が先達として富士登山六十四度の大願成就を記念し建てたものです。富士登山六十四度という記録は驚異的なものであり、当時の所沢地方でいかに富士講が盛んであったかを物語っています





所沢市デザインマンホール




google mapにはもちろん載っていない。
赤丸のところ辺り。




続く。
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