2023/10/02 久米川・新小平散歩 02 平和塔公園/浅間塚/跨線橋/美佳緑道/美佳歩道橋/浄水橋/新青梅街道・美佳陸橋

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/02/183000





◆平和塔公


境塚(さかいづか)

 この塚はもと「大塚」と呼ばれ、現存していない「小塚」とともに築かれた境塚と考えられている。境塚とは、江戸幕府が推し進めた武蔵野の新田開発に対し、入会秣場の確保に努める村々が境界に築造した塚のことである。入会秣場(いりあいまくさば)とは、周辺地域の人々に共有され、肥料や燃料、屋根葺きの材料などとして利用される茅や薄等を採取する場所のことである。近世前期から中期にかけて狭山丘陵周辺の村々の間では、この入会秣場の開墾をめぐって対立が起こるようになり、境界を明らかにするため各地に境塚が築造された。この塚はその一つといわれている。
 昭和三六年(一九六一)、塚の頂上に平和の女神像が建立され、平和塔公園として整備された。


平和塔

像の作者など調べたがわからなかった。
ご存じの方は教えてください。
ぺこ <(_ _)>




◆浅間塚



 江戸時代の末、文化文政の頃(十九世紀前半)から富士信仰が盛んになり、各地に富士講がつくられ、また富士山を模した富士塚も築かれました。
 この塚は富士塚ではありませんが、頂上に富士信仰浅間神社が祀られており、浅間塚と呼ばれています。浅間神社の小祠は西宿(現在の諏訪町一、二丁目あたり)の人々が天保十三年(一八四二)に建てたものです。
 塚の形は円形でなく、長辺二七m短辺二四mの長方形をしており高さは五m程です。
 このような方形の塚は武蔵野地域には数多く残されており、多くは江戸時代の塚と考えられますが、何のために築かれたものかははっきりしていません。
 この塚も後に浅間神社を祀ったもので、富士信仰のために築かれたものではないようです。
 かつては府中街道から参道が続いており、頂上からは富士山も良く眺められたことと思います。



上からの景色






跨線橋

橋名板はなかった。
下は西武国分寺線







◆美佳緑道






◆美佳歩道橋

下は新青梅街道







◆浄水橋

下は空堀川




奥に東京都水道局東村山浄水場が写っている。






新青梅街道・美佳陸橋



下は西武多摩湖線







続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/02/193000