2022/12/18 中里富士塚


以前訪れたことがあるが、工事中で中へ入ることができなかった。
2019/04/17 清瀬散歩 02 清瀬へ/清瀬金山緑地公園/金山橋/地蔵菩薩像/稲荷大明神/中里富士塚 - ovanの社会科見学






東京都指定有形民俗文化財
なかざとのふじづか
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 丸嘉講武州田無組中里講社により、柳瀬川右岸の段丘縁辺地に築かれた。文政八年(1825)再築という伝承や、頂上の石祠に同年の銘があることなどから、文化文政年間(1804~1830)の築造と考えられる。明治七年(1874)に二m程かさ上げされ、周囲よりの高さは約九mである。
 北側の鳥居を潜ると登山道が九十九折りに続く。途中一合目から九合目までを記した小さな石柱がある。山頂には文政八年の石祠と、大日如来を刻む石碑が建つ。この石祠は富士山頂の「仙元大菩薩」の社を象ったもの。中腹には、富士山五合目に祀られる「小御嶽神社」の碑がある。少し下った先には、富士講が往路に参詣する「高尾山阿闍梨明王」の碑。その中間に、帰路に詣でる「道了大薩埵」の碑が建つ。
 富士信仰に関する石造物を具備する一方、今日でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されている。また全山赤土で、一般の富士塚に見られる溶岩は一切使われていない。舟運に依存できない内陸地域の富士塚の、典型的な様式を示している。なお、講に関する中里丸嘉講関係資料が附として指定されている。初期の富士塚として、また江戸後期に武蔵野に進出した富士講の活動を知る上で重要である。


清瀬10景 中里富士山



 中里富士山は、 富士山を信仰する人々の集まりである富士講によって江戸時代文化年間頃築かれたといわれ、高さが約10m、 東京都の有形民俗文化財に指定されています。毎年9月1日には、ここで、 東京都指定無形民俗文化財である中里の「火の花祭り」 が行われます。
 この行事は、講中富士塚で経文を唱えたあと、円錐形の麦わらの山に火がつけられ、その火にあたり、灰を家に持ち帰って門口にまくと火災除けや魔除けになり、畑にまくと豊作になると伝えられているものです。




◆山頂




◆石塔



◆鳥居





お詣りしたので富士山に登ったのと同じ御利益♪









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2019/04/17 記事アーカイブ





b>◆中里富士塚

まさかの工事中で立ち入り禁止だった。




中里の富士塚

 丸嘉講武州田無組中里講社により、柳瀬川右岸の段丘縁辺地に築かれた。文政八年(1825)再築という伝承や、頂上の石祠に同年の銘があることなどから、文化文政年間(1804~1830)の築造と考えられる。明七7年(1874)に2m程かさ上げされ、周囲よりの高さは約9mである。
 北側の鳥居を潜ると登山道が九十九折りに続く。途中1合目から9合目までを記した小さな石柱がある。山頂には文政8年の石祠と、大日如来を刻む石碑が建つ。この石祠は富士山頂の「仙元大菩薩」の社を象ったもの。中腹には、富士山五合目に祀られる「小御嶽神社」の碑がある。少し下った先には、富士講が往路に参詣する「高尾山阿闍梨明王」の碑。その中間に、帰路で詣でる「道了大薩?」の碑が建つ。
 富士信仰に関する石造物を具備する一方、今日でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されている。また全山赤土で、一般の富士塚に見られる溶岩は一切使われていない。舟運に依存できない内陸地域の富士塚の、典型的な様式を示している。なお、講に関する中里丸嘉講関係資料が附として指定されている。初期の富士塚として、また江戸後期に武蔵野に進出した富士講の活動を知る上で重要である。





中里富士山

 中里富士山は、富士山を信仰する人々の集まりである富士講によって江戸時代文化年間頃築かれたといわれ、高さが約10m、東京都の有形民俗文化財に指定されています。
毎年9月1日には、ここで、東京都指定無形民俗文化財である中里の「火の花祭り」が行われます。
 この行事は、講中富士塚で経文を唱えたあと、円錐形の麦わらの山に火がつけられ、その火にあたり、灰を家に持ち帰って門口にまくと火災除けや魔除けになり、畑にまくと豊作になると伝えられているものです。