2023/04/02 梅岩寺



梅岩寺のケヤキ

目通り幹囲7.1m、高さ約32.5m、幹は地上約3mのあたりから数本の大枝に分かれる。新編武蔵風土記稿巻121、久米川村梅岩寺の条に「門、芳林山ノ三字ヲ扁ス、周囲二丈許ノ古槻、或ハ一丈二尺許ノ椵樹、門ニ入テ左右ニアリ」と記している。
地勢なお旺盛で、都内にあるケヤキのうち有数の巨樹であり、とくに樹高が秀でている。
ケヤキはニレ科に属し、巨樹となる落葉樹、春には新葉と同時に淡黄色の細かい花を開く。


梅岩寺のカヤ

梅岩寺のカヤは都内でも有数のカヤの大木で目通り幹囲5m、高さ約30m。樹令はおおむね600年です。。新編武蔵風土記稿久米川村梅岩寺の条に「周囲二丈許の古槻、或は一丈二尺許の椵樹、門に入て左右にある」とありますが、槻はケヤキ(東京都指定天然記念物)であり、椵はこのカヤを指すと思われます。
カヤは一位科に属し、常緑樹で枝も多く、うっそうとしています。





◆(石碑 廃寺)狭山札所第拾番富所竜谷寺





◆(巨大 )石灯籠





◆新・四国石仏



 江戸期-特に中ごろから霊場巡り、巡礼が庶民の間に盛行し、近くは坂東・秩父に、遠くは四国八十八ヶ所詣でなど、いわゆるお遍路が行われました。
 四国への霊場巡りは現代とちがって数ヶ月もかかり、経済的にも身体的にもそれはたいへんなことで、だれでもが実行できるものではありませんでした。そこで地元に八十八ヶ所の石仏を造立し、四国まで行かなくとも、同じ功徳が多くの人に得られるようにしました。
 これを新四国石仏といいますが、この石仏は文政7年(1824)に久米川村の榎本権兵衛らが建立し奉納したものであり、現今、完全に八十八体として残されているものはこの近郷になく、信仰史のうえからも価値があります。





六地蔵





◆鐘つき堂





◆石仏





十三仏



十三仏の信仰
 この世に生を受けた人は必ず死を迎えます。そして再びどこかに生まれ変わり、生き続けるといわれます。
 人間として生涯を終えてあの世へ行くと、閻魔大王の前に立ち、人間としての生涯を評価され、その抜きにより、この世て悪いことをすれば地獄(自己の罪業の報いから生じるもっとも恐ろしい世界) に落ちる。逆に良いことをすれば極楽(楽しみがあるところ、安楽浄土、極楽浄土、西行浄土)に生まれ変わることが出来るとされています。
 極楽行きを許された人(霊)は、最初に不動明王のお導きをいただいて、長い年月をかけて、その時々を十三の仏さまのお導きにより極楽へ向かうのです。これが十三仏の信仰です。
 私たちの先祖が極楽浄土への旅の途中、お導きをしてくださる仏さまに感謝し、「これからもよろしくお導きください」と心を込めてお願いするのがその時々の年回法要(追善供養・回向)です。
 私たちはこの世に生きている間、自分や他人の命を大切にし、他の人々を助け、他人に迷惑をかけるようなことはつつしみ、閻魔大王に地獄行きを命じられないよう心がけましょう。





◆山門

左側の巨木が上記ケヤキ、右側が同じくカヤ。





◆参道





青面金剛





場所はこちら