2021/07/21 西新井散歩 02 西荒井大師

情報量が多いので1ページにした。
何度か来たことがあるようなイメージだったけど、風鈴祭りのときに一度着た限りだった。
2016/07/15 part2 西新井大師 風鈴まつり - ovanの社会科見学





◆本堂







◆東門







◆寺務所







◆光明殿







八角







◆書院







大日如来尊像



 密教の教主にて梵名を摩訶思盧遮那と云う、摩訶は大の義、思盧遮那は日の列名なので大日と訳す。
 字宙に遍照する理智の法身体として尊ばれているこの大日如来尊は、修験道に名高い出羽三山の一つの湯殿山大日如来を勧請したもので文政年間の建立である。







◆塩地蔵



 ここに安置される地蔵菩薩は、江戸時代より特にいぼ取りその他に霊験ありと伝えられ御堂内の塩をいただきその功徳ある時、倍の塩をお返しするところから塩地蔵と申し諸人の信仰盛んなり。







◆三匝堂

写っていない左隣の建物とセットみたいだね。







◆加持水の井戸







水子地蔵



 地蔵菩薩釈尊入滅後、弥勒菩薩出生までの間 無仏の五濁悪世の救済を仏よりゆだねられ さまさまに姿を変え六道をお化導し 三途の川の宴の河原に在っても子供たちの迷いを除き能く救うとされます。
 ご供養となる五輪塔婆を献ずることは地蔵菩薩建立の意味を成し、大慈悲の功徳によって精霊を擁護し安らかならしめます。







◆寒桜



 当山のこの桜は、カンヒザクラ系の雑種で桜の中では最も早く開花し、通常であれば二月上旬から三月上旬ごろまで長期間楽しむことができる。
 このような寒桜は都内ではあまり見ること出来ない。







◆不動堂



 本尊不動明王は、不動尊又は無動尊とも云い、大日如来が済渡し難い衆生に対し右手に剣左手に索(しゃく)を持ち大火焔を憤怒の相に現じ一切煩悩を調伏し遵法せしめ給う尊である。
 堅固不動の清菩薩心の尊なれば、諸願成就は勿論、悪毒、災害を除き延寿徐病効能広し。堂内には不動明王を中央に右に制吨迦、左に矜羯羅の二童子を祀り、當山修行の道場である。







四国八十八箇所霊場 同行二人お砂踏み巡礼所



厄除弘法大師のご利益と観音慈悲の功德を一時に与えて下さる礼拝所。
基壇の周囲、石板の下には、四国霊場高野山の霊砂が順に敷かれております。
〈礼拝尊像〉
十一面観世菩薩像 四国八十八所大師像 高野山奥之院大師像 弘法大師父君母君像
〈礼拝の心得〉
心稳かに保ち願いを込め南側正面より入場。正面にて合掌礼拝、「南無大師遍照金剛」をお唱えしながら左倒から順に一周して下さい。
前の方とは間隔をあけ一列にてお歩き下さい。最後に正面で合掌礼拝して退場。







◆稚児大師尊像



弘法大師樣は、宝亀五年 (774)六月十五日讚岐国多度郡屏風ヶ浦、現在の香川県善通寺市に出生、幼名を眞魚(まな)と云い、幼にして智惠深くして神童の誉れ高くすべてに秀でていらっしゃいました。
古来よりこの稚児大師様を信仰すれば子育て、学業成就のご利益をいただくことが出来るとされます。
弘法大師様御降誕一二○○年の記念として東京藝術大学教授菅原安男先生に委嘱して謹作しました。







◆池

特に説明はないが弁天堂があるので弁天池でよいと思う。
間違っていたら情報願います。
ぺこ <(_ _)>







◆権現堂



 権現堂の由来は、遠く当山建立の砌(みぎ)り、山内の地鎮のために権現像をまつることに始まる。その後数度の修復を経て今日に至る。
 権現とは、衆生済度の為に仏が神に化身して、我が国に現れた御影を申し上げる。







◆弁天堂



本尊の弁財天は音楽、弁才、財福などを司る女神で妙音天、美音天ともいう。もと印度の河神で、のち学問、美術の守護神となる。
 当社の建立は詳らかではないが江戸期の古書にも記されて、現在、芸道達成、学業成就、航海安全等の祈願成就を願う人が少なくない。







◆橋

橋の名前がわからなかった。







◆十三重宝塔



 この塔は高祖弘法大師報思謝徳の為に建立されました十三重の塔です。塔身には高祖大師の御影を謹刻し内には恵果阿閣梨より受け継がれた仏舎利一粒が納められさらに高祖大師ゆかりの聖地より白砂聖石を蒐め埋納されております。
 塔は車都婆(ストゥーパ)と言われお釈迦様の仏舎利を奉安されるために建造されたのが始まりです。
 密敦では卒塔婆鈔に「大日遍照の一身十方諸仏の具体」と説かれております。造立供養の功徳は無辺にして量り難く十種の功徳を被るといわれます。







◆如意輪堂(女人堂)



 本尊如意輪親音は法輪を転じて苦しみを受ける一切有情に宝財を施し、あるいは如意珠より福智二徳を出生し衆生の苦を除き楽を与える観音菩薩である。
 當山では何時の項からか持に女人の諸願成就にに霊験ありとされ、その功徳多き故に女人堂と伝えられ乗生の帰依と共に今日に至る。







◆社(お堂?)

何が祀られてるのかわからなかった。
ご存じの方は教えてください。
ぺこ <(_ _)>







奥の院



 今にまします弘法大師高野山典の院を関東に奉迎して当地にまつりました。かつてこの御堂の前に御霊屋影見の井戸あり、かかるところから当山は関東の高野と称され高野山の代拝所として江戸の昔より今日まで善男、善女の参ずる者が多い。







◆出世稲荷明神



 稲荷明神とは、本来五穀の神であります倉稲魂神(うかのみたま)をお祭りしたものである。
 弘法大師様が嵯峨天皇より東寺を賜りました時、明神が翁の姿となって現れ救いを重れられたので、東寺の鎮守として祭られ盛んになったといわれます。
 この杜殿は弘法大師陸誕一二〇○年の記念として再建いたしました当山の鎮守であります。








◆藤棚

来年は藤を身に来ようかな♪







◆延命水洗地蔵尊



 地蔵菩薩釈尊の減後、仏がいなくなったこの世界の衆生を、弥勅怖が出現するまでの間、教化する菩薩であります。
 この延命水洗地蔵尊を信仰すると十種の福徳が授かり特に寿命長遠の功徳があります。弘法大師様御降誕一二〇〇年の記念として建立いたしました。







菩提樹



 お釈迦さまは、二十九歳で悟りを求めて出家をし、六年間にわたる難行苦行をつらぬきまし
たが苦行では悟りを得る事ができないことを知ったお釈迦さまは、菩提樹の下に座り、悟りを得るま
ではこの座を立たない事を誓い、教日を経てついに悟りを開かれたのです。時に十二月八日、お釈迦さま三十五歳のどきでした。悟りを得ることを成道と呼び、また真理に目覚めた人を仏陀といいます。







◆山門(仁王門)

表側



金剛力士



裏側






続く。