『如意輪寺(にょいりんじ)は、東京都西東京市にある真言宗智山派の寺、山号は光明山、院号を福生院と号し、本尊には大日如来を祀る。本山は京都市東山区の智積院。
寳晃院、寶樹院、東禅寺(以前は西光寺(現総持寺)だったが西光寺移転後は東禅寺となる)と合わせて保谷四軒寺と呼ばれる。また、武蔵野三十三観音霊場の四番札所[2]、多摩八十八ヶ所霊場の三十五番札所である。 』
『如意輪寺の本尊は本来不動明王であったが、1892年(明治25年)の火災により焼失している。その際、本堂、庫裡、本尊の不動明王や古文書なども全て焼失しているため、創建年代などは不明である。観音堂(1776年(安永5年)建立)のみ焼失を免れている。寺内の墓地に中興開山といわれる第七世恵定法印の五輪塔があり、正保4年(1647年)示寂の銘があることより、寺の歴史は古く、創建は1500年頃と推定されている。なお、現在の本堂である大日殿は、1976年(昭和51年)に落成したものである。』
◆観音堂
◆庚申塔
市内に残る文化財のうち、石仏の多くは江戸時代の街道や脇道の路傍に建立されました。これらの石仏は、昭和三十年頃からの急速な市街化や忘れ行く信仰などによって、場所によりそのままの原位置に立ち続けることが困難な事例が生じました。
こうした事情によって、ここに表示する四基の石仏は、かって旧上保谷村の江戸時代、富士街道と字大門に建てられていましたが、順次如意輪寺の境内に移設されたものです。 四基は仏教に由緒する民間信仰であり、六十六部回国塔を除く三基は、地域の村びとが親しく同一の信仰による講中を結んで造立しました。その旧位置からみて、講中には如意輪寺の檀家が多かったはずでしょう。時代の変化とはいえ、これらの石仏が原位置を追われても、上保谷村伝統の古刹である如意輪寺のご理解によって、境内に安住の場所を得たのは、文化財である石仏を長く保存するための良き例となっています。
◆六地蔵
◆庚申塔
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