2023/09/10 東村山・武蔵大和散歩 01 東村山駅/東村山市デザインマンホール/西武線踏切/東村山駅西口/東村山停車場の碑/餅萬/猿田彦神社


24時間勤務アケで、西武線村山駅から同じく武蔵大和駅まで散歩。



◆東村山駅






東村山市デザインマンホール

たくさんあったので別のページで。
2023/09/10 東村山市デザインマンホール - ovanの社会科見学





西武線踏切

西武新宿線の踏切。
高架化されたらなくなる踏切だね。








◆東村山駅西口

東口から西口へ行くには上記の踏切を越えなければならない。
ちょっと遠いね・・・・。








◆東村山停車場の碑




 東村山は北多摩地域でも早い時期に鉄道が開通した所です。明治二二年(一八八九)に甲武鉄道(現中央線) の新宿と立川間が開通すると、やがてその国分寺と埼玉県の川越を結ぶ川越鉄道が計画されました。そして明治二七年(1894)に国分寺と東村山間の工事が完成しましたが、柳瀬川の鉄橋工事が難行したので、やむなく現在の東村山駅北方に仮設の駅 (久米川仮停車場)を置き、国分寺—久米川仮停車場間で営業を開始しました。翌明治二八年(1895)、鉄橋も完成し国分寺川越間が開通するのに伴い、仮設の駅は廃止されることとなりました。しかし東村山の人々は鉄道の駅の有無は地域の発展に大きく影響すると考え、約二五〇人もの寄付と土地の提供により、同年八月六日にようやく東村山停車場の設置にこぎつけました。
 当時の人々の考えたとおり鉄道は地域の発展に欠かせないものとなり、その後の東村山の発展の基礎となりました。 東村山停車場の碑は、こうした当時の人々の努力を後世に残すため、明治三〇年(1897)に建てられたものです。
 また、石碑右手の石造物は、由来は不明ですが、約三〇m北西にあったもので、 「嘉永七寅六月十二日 馬頭観世音」の銘があります。



こちらが、もとの碑ということかな?






◆(有)餅萬 西口本店

だいじょうぶだあ饅頭!?
今度来たらかってみようかな・・・。






猿田彦神社



 この神社は、明治28年8月に東村山停車場が開業して以来、だんだん増えてきた地域の人々の、親しい結び付きをはかるために、昔から旧道の辻にあった庚申さまを地区の鎮守と定め、お祀りしたものです。
辻の庚申さまは、宝暦3年(1759)、村人たちによって建てられたもので、道を守って下さる神として信仰されてきました。停車場ができて地区の守り神を望むとき、「道の神・猿田彦さま」を鎮守と仰ぎ、辻から移してお祀りしたのです。鉄道も「みち」であり、駅に関わりのある周辺地域の守り神としてふさわしく、人々に信仰されています。

 駅のなりたち・・・・・明治二十三年(1890)、川越鉄道をつくる願いが出され、許可を得て工事にかかり、明治二十七年(1894)十二月二十一日、国分寺~久米川仮停車場が開通しました。久米川仮停車場というのは、柳瀬川に鉄橋を架けることで、水が塞き止められて水害を起こすのではないかとおそれた人々の反対で、川の手前に仮りの停車場を作って開業したといわれています。
翌二十八年(1895)三月二十一日、いよいよ柳瀬川を越えて川越まで開通しましたが、そのとき、久米川仮停車場は廃止になりました。
そこで、村の有志が中心となり、「東村山を発展させるためには、停車場をつくることが必要だ」といって賛同者を集め、土地を差し出したり、工事費の一部を出したりして川越鉄道に強くはたらきかけ、明治二十八年八月六日、ついに東村山停車場が開業したのです。
 三月と八月のお祭りは、この日を記念して定められました。







続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/09/10/190000