2023/06/26 花園神社


『創建の由緒は不明であるが、徳川家康が江戸に入った1590年にはすで存在しており、大和国吉野山よりの勧請と伝えられている[2]。その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祭られるようになった。
元は現在地よりも約250メートル南にあったが、寛政年間、その地を朝倉筑後守が拝領しその下屋敷の敷地内となって参拝ができなくなった。氏子がその旨を幕府に訴えて、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地を拝領し、そこに遷座した。そこは多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったと伝えられる。また、真言宗豊山派愛染院の別院・三光院の住職が別当を勤めたことから「三光院稲荷」とも、地名から「四谷追分稲荷」とも呼ばれた。
明治に入ると村社に列格したが、その際、名称は単に「稲荷神社」となった。一説には届出の際に「花園」を書き忘れたという[2]。1916年(大正5年)1月25日に東京府知事に対し改名願を出し、同年2月26日に許可され「花園稲荷神社」に改称した。1928年(昭和3年)、現新宿4丁目にあった雷電稲荷神社(雷電神社/祭神:受持神)を合祀、郷社に昇格した。1965年(昭和40年)、現在のコンクリート製の本殿に建て替えられ、その際に末社大鳥神社(祭神:日本武尊)を本殿に合祀し、社名を「花園神社」に改めた。 』
花園神社 - Wikipedia



◆神楽殿




◆宝物殿




◆威徳稲荷神社






雷電稲荷神社の石塔と八町桜

境内社ということで良いのかな?
左側にあるのが八町桜



神樂殿の竣工を祝し花園八町会の絆の象徴として植樹いたしました。




◆納め神社




◆旧三光院水盤




二宮尊徳



貧しい生活の中でいっしょうけんめい勉強
した二宮金次郎(のちの二宮尊徳)のこの石像は
昭和8年(1933年)の校舎建築中のころ、
長崎武文氏(昭和8年卒)の父、佐次郎氏が
千葉から荷馬車で運んでこられたものです。




芸能浅間神社




◆「圭子の夢は夜ひらく」の碑  

作詞 石坂まさを  作曲 曽根幸明
赤く咲くのは けしの花 
白く咲くのは 百合の花
どう咲きゃいいのさ この私
夢は夜ひらく

十五 十六 十七と
私の人生 暗かった
過去はどんなに 暗くとも
夢は夜ひらく




◆「?」

お祝いの花?
すごい名前の方がズラリ・・・・。




◆鳥居




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