2023/07/06 宗参寺


『同寺は、天文12年(1543年)に没した牛込重行(法号:宗参)の墓所を、息子の牛込勝行が造ったことに始まる。
牛込氏は、元は上野国(現在の群馬県)の領主で、室町時代後北条氏の家臣となり現在の光照寺に牛込城を築き、牛込地域を領した。その後、徳川家康に仕えて幕末まで旗本として続いている[1]。
宗参寺は、江戸時代には朱印地として寺領10石を拝領した。
同寺内には牛込氏累代の墓があり、東京都史跡に指定されている(1924年指定)。
また、江戸時代の兵学者・儒学者山鹿素行の墓もあり、こちらは国の史跡になっている(1943年指定)。 』
宗参寺 - Wikipedia




山鹿素行の墓/牛込氏墓地

『山鹿 素行(やまが そこう、元和8年8月16日(1622年9月21日) - 貞享2年9月26日(1685年10月23日))は、江戸時代前期の日本の儒学者軍学者。山鹿流兵法及び古学派の祖である。諱は高祐(たかすけ)または高興(たかおき)、義矩(よしのり)とも。字は子敬、通称は甚五右衛門。因山、素行と号した。長男に政実(まさざね)、次男に高基(たかもと)がいる』
山鹿素行 - Wikipedia

『牛込氏はもと武蔵国守護の上杉氏の家臣でしたが、小田原北条市の家臣となって、牛込地区の領主になりました。重行―勝行―勝重と北条氏に仕えました。』
宗参寺 山鹿素行の墓 牛込氏の墓 | 一般社団法人新宿観光振興協会





◆乃木将軍遺愛の梅「春日野」



文字化は断念・・・。





水子地蔵





◆他に確認できたお墓
大蔵謙斎の墓
『1757-1844 江戸時代中期-後期の儒者
宝暦7年生まれ。桜木誾斎(ぎんさい),柴野栗山(りつざん)にまなぶ。平賀家などにつかえ,平賀貞愛の長崎奉行赴任にしたがったが,病気で辞職。のち私塾をひらいた。天保(てんぽう)15年7月1日死去。88歳。信濃(しなの)(長野県)出身。名は譲。字(あざな)は謙甫。著作に「何余漫筆」など。』
大蔵謙斎(おおくら けんさい)とは? 意味や使い方 - コトバンク

海野幸典の墓
『没年:嘉永1.11.11(1848.12.6)
生年:寛政6.11.14(1794.12.6)
江戸後期の歌人。通称源兵衛。号游翁,柳園。江戸下谷に住んだ。松江藩に仕え,のち幕臣となる。前波黙軒に和歌を学んだ。また僧玄如を介して香川景樹とも対面し,景樹の倨傲に驚きながらもその実力に心服したむねの逸話を伝えている。幕末の江戸歌人として地位を築いていたが,歌学の実力は必ずしも高いものではなかった。小沢蘆庵の影響を受けた平易な歌風に特徴があるといえよう。家集に『柳園家集』がある。<参考文献>丸山季夫「海野游翁とその書簡」(『国学史上の人々』) 』
海野幸典(うんの・ゆきのり)とは? 意味や使い方 - コトバンク

由美原泉の墓
『1689-1772 江戸時代中期の儒者
元禄(げんろく)2年生まれ。貝原益軒に入門し,筑前(ちくぜん)福岡藩につかえる。のち江戸で荻生徂徠(おぎゅう-そらい),山県周南らにまなぶ。延享2年金沢藩にまねかれ,4代にわたる藩主の侍講をつとめた。明和9年10月30日死去。84歳。筑前出身。本姓は稲留(いなとめ)(稲富(いなどみ)とも)。名は希賢(まれかた)。字(あざな)は子善,好道。通称は弥二郎。著作に「詩語格」など。』
由美原泉(ゆみ げんせん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

牛込勝登の墓
牛込忠左衛門『1622-1688* 江戸時代前期の武士。
元和(げんな)8年生まれ。幕臣。寛文11年長崎奉行となり,翌年貿易額の増大と金・銀の国外流出防止を目的とする市法貨物商法を制定。長崎東奉行所(立山役所)をつくり,長崎聖堂を再興,在任は10年におよんだ。貞享(じょうきょう)4年12月9日死去。66歳。江戸出身。名は勝登,のち重忝(しげのり)。号は時楽。 』
牛込忠左衛門(うしごめ ちゅうざえもん)とは? 意味や使い方 - コトバンク





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