2023/07/25 新橋駅SL広場




今まで気が付かなかったのだが、説明版がたくさんあるね!





◆時代とともに姿を消した高輪築堤を、鉄道はじまりの地「新橋」 へ

平成31 (2019) 年4月、品川駅改良工事の際に高輪で石垣の一部が発見されました。
それは、すでに取り壊されたと考えられていた築堤でした。
築堤は日本初の鉄道を実現させるため海の上に作られた線路です。
当時、一度埋め立てた土砂が波に流されて築堤が崩壊するなど工事は難航しましたが、明治5(1872)年10月14日に新橋から開港場であった横浜を結ぶ、 約29kmの鉄道が開業しました。





◆新橋駅と鉄道の歴史

明治期
旧新橋停車場
鉄道発祥の地となった初代の新橋停車場は現在の汐留地区内に明治5(1872)年に竣工しました。
以降、中央駅として輝かしい歴史を刻みながらも、 大正3(1914) 年の東京駅開業により貨物駅となり、 関東大震災では内外部に火が入り大きな被害を受けました。
現在は汐留地区内に駅舎が再現港区立郷土歴史館 所蔵されています。

明治5(1872)年
歌川広重(三代)東京品川海辺蒸気車鉄道之真景
高輪築堤が明治維新の文明開化の象徴として、 煙を吐いて客車を引く蒸気機関車と、駅間の連絡に使われた電信線とともに描かれています。
明治20 (1887) 年の地図からは、海岸線が迫る現在の本芝から品川駅近辺に築堤が続く様子が読み取れます。

大正期
新橋駅
現在の2代目新橋駅の前身である烏森駅は、大正3(1914)年に東京駅の開業に合わせて赤レンガの駅舎が新設され、 新橋駅に改称されました。
また初代の新橋駅は汐留駅に改称されました。

明治 12 (1879)年
最初の日本人機関士達
明治期の蒸気機関車と最初の日本人機関士たちです。
場所は新橋停車場構内の転車台であり、後方にうっすら映っているのは新橋停車場のように見えます。

令和4(2022)年
新橋駅烏森口
歴史的建造物であるレンガアーチが今もなお耐震補強工事を経て現存しています。
昭和47(1972)年新橋駅前に設置された SL新橋駅の鉄道開業100年を記念し設置された蒸気機関車C11-292 は、 現役時代は姫路で運行、昭和47年(1972)年に廃車となり、 現在に至ります。





◆高輪築堤とは

 高輪築堤は、明治5 (1872) 年に我が国初の鉄道が開業した際に、 海上に線路を敷設するために築かれた鉄道構造物です。 明治政府は明治2(1869) 年に、首都東京と開港場であった横浜を結ぶ約29kmの鉄道建設を決定しました。しかし、鉄道建設に反対する兵部省が高輪周辺の土地の測量を拒んだため、鉄道建設の責任者であった佐賀藩出身の大隈重信らの判断で、本芝から高輪海岸を経て品川停車場に至るまでの約2.7kmの区間海上に築堤を建造し、その築堤の上に列車を走らせることとしました。
 工事はイギリス人技師エドモンド・モレルの指導のもとで民部省鉄道掛のちに工部省鉄道寮が担当し、石垣の石材には台場や高輪海岸の石垣等が使用されています。一度埋め立てた土砂が波に流されて築堤が崩壊するなど難工事となり完成したのは正式開業直前のことでした。 高輪築堤は、 我が国の在来技術と西洋技術の折衷をみることのできる貴重な鉄道構造物といえます。

出土の経緯と調査
 高輪築堤は、 平成31(2019)年4月、 品川駅改良工事の際に石垣の一部が発見されました。 この発見は、周辺の埋め立てに際してすでに取り壊されていると考えられていた高輪築堤の残存を確認するきっかけとなりました。
 築堤が開発計画エリア内に残存している可能性があると考え、令和元 (2019) 年 11 月の山手線京浜東北線の線路切換工事完了以降、築堤の残存状況を確認する試掘調査を実施その結果、 旧山手線・旧京浜東北線の線路下より高輪築堤が見つかりしました。
 石垣上部の石は取り除かれているものの、 開業当時の線路に敷かれていたバラストが確認されるなど、比較的良好な状態で残存していることが確認されました。

第 7 橋梁橋台部分
 築堤の一部を切って設けられた橋梁の橋台部分です。 横長の石を同じ列に長手と小口を並べるようプラフ積みが用いられています。 石の面を観察すると、開業時手前の表面は斜め筋状の叩きが丁寧に施されているすだれ仕上げに対し、 山側奥は荒い打ち欠きが残るのみです。
 これらの違いから、山側は3線化に伴い拡幅された際のものと考えられ、開業時の山側の石垣は、拡張した石垣に隠れている可能性があります。





◆築堤の大きさ

原物の高輪築堤は 3.8m の高さがありました。
このモニュメントは赤で示した上部約 1mの石積を再現しています。

東京2020大会の気運醸成を目的としたデイカウントダウン装置 (デジタルサイネージ)
 デイカウントダウン装置は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開会式までの日数をカウントダウン表示することにより、新橋から大会の気運を盛り上げたいと、 愛宕一之部連合町会から提案があり、東新橋に本社を有する富士通株式会社の全面的な協力を受け、港区が大会終了まで設置していたものです。
 この装置は、カウントダウン表示はもとより、地域情報の発信に加え、国際的なスポーツイベントの放映、冬季のイルミネーションと連動した映像演出を行うなど、地域の活性化に大きく寄与しました。 令和3(2021)年7月23日から始まった大会期間中は、 コンセプトムービー競技日程やメダリストの情報を連日放映するなど、 気運醸成ツールとしての役割を果たしました。
 また、愛宕一之部連合町会・富士通株式会社・港区の三者は、装置の設置を契機として、ここ新橋SL広場で大会の開催に向けたスポーツイベントを実施するなど、この装置が新橋地区の連携協力の象徴ともなりました。
[設置サイズ]
縦4.2m×高さ2.7m×奥行0.4m 重量 1,460kg
自立型デジタルサイネージとして国内最大級 ※設置当時





◆鉄道発祥の地 港区

日本初の鉄道が新橋横浜間で開業しました。

東京駅
東京駅は大正3(1914) 年にレンガ調の駅舎として竣工しました。 昭和 20 (1945) 年の戦災により、 ドーム・屋根・内装を消失しましたが、 その後保存・復元工事により、今の駅舎となりました。

新橋駅西口広場
新橋駅西口広場には、 昭和20年代に運行していたC-11 蒸気機関車のほか、信号機も展示されています。 新橋駅の赤いレンガアーチは明治時代に作られた高架橋で耐震補強を経て今もなお現存しています。

品川駅創業記念碑
新橋~横浜間が正式開業したのは明治5(1872)年10月14日、同年6月12日に、品川~横浜間で仮開業していました。
「品川駅創業記念碑」が建てられています。

井上勝の墓
東海道本線と山手線に挟まれたこの地を、井上自ら墓地として選んだのは、死後も鉄道を見守っていきたいという意向の表れであったと伝えられています。
※こちらはお参りに行ったことがある。
2020/07/02 品川区広町散歩 05 東海寺大山墓地 - ovanの社会科見学

井上勝の像
丸の内駅前広場には、 日本最初の鉄道である新橋一横浜間をはじめとした初期主要路線の敷設に貢献した 「鉄道の父」 井上勝の像があります。
※こちらも訪れたことがある。
2018/10/15 国立公文書館 「躍動する明治−近代日本の幕開け−」展 - ovanの社会科見学

旧新橋停車場
新橋駅から汐留方面へ少し歩くと、 明治 5 (1872) 年に開業した「新橋停車場」 を当時と同位置に外観を再現した鉄道歴史展示室があります。 館内の旧新橋停車場では、 発掘された駅舎の遺構や出土品が公開されています。

高輪築堤跡
港区三田三丁目 高輪二丁目には、明治5(1872)年に日本最初の鉄道を、新橋横浜間に開業した際、 海上に構築した軌道である 「築堤」が残っており、第7橋梁は約80mに渡って現地保存されています。






夜にばっかり来ていたからかなぁ。
全然気が付かなかった。
もっと視野を広げないとだなあ。




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