2023/11/07 大蓮寺


『1544年(天文13年)、覚誉存栄によって開山された。覚誉存栄が浦安に訪れた際、町外れの小堂に、行基が彫ったと伝えられる勢至菩薩像が安置されているのを見て、自分が居た小田原の大蓮寺と同じ名称の寺を創建した。
当寺から増上寺第39世法主となる学誉冏鑑を輩出している。
当寺の門は、福岡藩江戸藩邸の門を移築したものである。 』
大蓮寺 (浦安市) - Wikipedia



宇田川六郎兵衛墓

 宇田川六郎兵衛は、天保四年(1833)、堀江村で生まれました。昌平坂学問所(神田湯島にあった江戸幕府直轄の学問所)で学び、その後、自宅に学問所を開き、子どもを教育しながら、剣道も教えていました。
 明治時代に入った頃のことです。魚介類を藩船で日本橋の魚河岸に運ぶ際、中川番所(現在の江東区大島)の検査に時間がかかり、魚介類が腐ってしまうので、人々は困っていました。これを知った六郎兵衛は代官と交渉し、以後堀江村の運搬船は無検査え通れるようになったといわれています。
 他にも、村同士の争いを解決するなお、村民に信頼されていました。
 また、六郎兵衛は漁民の収益増大を図るため、中洲(浜町がし)に「〇宇」と称する魚市場を開設し、漁民から感謝されました。
 六郎兵衛は多くの人に信頼され、業績を残しましたが、明治二十六年(1893)、六十歳でこの世を去りました。



大塚亮平顕彰碑

 大塚亮平(おおつかりょうへい)は、嘉永二年(1849)、堀江村に生まれました。若い頃から俳句を好み、秋江菴釣月と称していました。明治五年(1872)学制が施行されるや翌年に、浦安で最初の小学校である「堀江小学校」を創設しました。八年には堀江村学校事務掛を努めたほか、戸長や堤防取締を兼務し、また宮内省御用掛、江戸川筋猟場監守など数々の公職も歴任しました。
 また、明治十七年(1884)からは、堀江村の漁業組合長、さrない東京湾水産諮問会郡総代を努め、水産界でも活躍しました。
 明治十八年(1885)、亮平は村民の生活を豊かにしようと、浦安(「浦安」の地名は明治二十二年から)、葛西、深川などの有志とともに海苔養殖事業を計画し、深川に海苔養殖場を設置するため、東京府に出願しました。当初、人々はこの事業の将来性が理解できず、反対もありましたが、亮平はあきらめずに人々に説得にあたりました。そして、翌十九年には東京府に出願した深川越中島地先の十万坪のうち、浦安では一万五千坪の使用権を取得しました。
 後に海苔養殖は、浦安の基幹産業になりますが、亮平はこの事業の盛況を見ることなく、明治二十二年(1885)に四十一才でこの世を去りました。
 この碑は、多くの分野で貢献した業績を讃え、村民によって、明治二十五年(1892)に建てられました。





◆鐘楼



大蓮寺鐘楼
 鐘楼とは、鐘つき堂のことです。この鐘楼は享保十九年(1734)、芝増上寺の住職になった高僧「学誉」の遺徳を惜しんでつくられました。
 この鐘楼にある梵鐘(つりがね)は、毎年五月二十三日から七月二十三日までの農繁期に、農作業に従事する人のための時報 時の鐘)や十二月三十一日の除夜の鐘として利用されてきました。
 鐘楼は腐朽のため、明治十年(1877)に再築され、鐘は昭和十八年(1943)十一月には、太平洋戦争下の金属供出運動によって、献納されてしまいました。
 現在の梵鐘は、檀家四百余名が毎月三十円ずつ積み立てて、帝室技芸員の香取秀真、正彦父子に依頼して昭和二十六年(1951)に再鋳されたもので、現在に至っています。





◆地蔵





阿弥陀如来諸菩薩来迎之庭



 伝統的な枯池・枯山水様式のこの庭園はお念佛により西方極楽浄土から、私たちの許へご来迎いただける阿弥陀如来及び二十五菩薩のお慈悲を示現している。
 左手の枯滝の奥にある主石と添石が弥陀三尊(阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩のお姿であり、多くの立石は二十五菩薩を表している。
 枯池の全景平面は、古式の瑞雲の形を表現し池中の敷石はその流れである。
 阿弥陀様のご功徳は、四十八の大願であり「如来の光明は、偏く十方世界を照らし、念佛の衆生を摂取して捨て給わず」と経典に説かれてあり、一石づつに集を開眼し、佛像が地中に祀られている。
 玄関前には美しい音色を奏でる水琴窟の噂品が配され、右手の庫裡への道は中国風の切石橋を渡り、参詣者は蓬菜の大亀(赤石)の背を過ぎるという縁起のよい構成がされている。古松も供花として観賞できる。
 全景は、鐘楼堂の前あたりからの観庭が一番の美景であろう。
 当山の開創四百五十年の記念法要に際し、日本庭園研究会会長の吉河功先生に、作庭依頼をし成就す。





◆勢至堂





◆石塔





◆永代供養等





◆藥師如来瑠璃光淨土之庭



 この池泉庭園は、経典にある東方世界のお浄土「瑠璃光浄土」のお姿を表現している。
 薬師三尊(薬師如来・日光・月光菩薩)を中心とした二段の滝石は、伝い落ち形式を示し、深山幽谷から流れ落ちる神秘の滝で、その浄水(薬師水)によって、病気を平癒させる意味が込められている。
 池の護岸の立石は、十二神将を表しており、それぞれの石には梵字が埋められ、開眼供養が奉修されている。お薬師様のご功徳に「諸々の病身の者、我が名を聞けば、諸根を具足し成満することを得る」と経典にある。
 全景は、遠近感を強調した日本庭園古来からの石組と、山水表現が巧みに用いられていて、右手にある小滝は流水形式とされ、手前の池中にある水分石によって、景を引き立てる味わい深い造形が表現されている。
 本堂前の向拝石段の位置からの観庭が一番の美景と思われる。
 総本山知恩院の御忌御導師大法要奉修の記念に、作庭を吉河功先生に依頼し成就す。





水子地蔵








◆山門(北側)





◆山門





◆参道入り口





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