2023/11/24 小川橋・供養塔など


下は玉川上水






草木が生い茂っていて流れが見えない。。。。。






玉川上水



江戸・東京の水道に果たした役割
 玉川上水は、 羽村取水口から四谷大木戸までの約43kmにわたる水路で、承応3 (1654)年に完成しました。 これにより、 多摩川の水が江戸市中の広い範囲に供給されることとなり、江戸が大きく発展することができました。
 その後、 明治31 (1898)年に完成した淀橋浄水場 (今の新宿区) への水路として、昭和40(1965) 年に同浄水場が廃止されるまで、利用されていました。
 現在も羽村取水口から小平監視所までは、現役の水道用の水路として、 都民の生活を支えています。

貴重な土木施設・遺構としての歴史的価値
 玉川上水は、 約43kmの区間を約92mの標高差 ( 100mでわずか約21cmの高低差)を利用して、水を流すように設計された長大な土木施設・遺構です。
 特に、 小平監視所から浅間橋までの中流部には、 開削当時の素掘りの水路・法面(のりめん) が多く残され、往時の姿を今日に伝えています。
 玉川上水は、近世の水利技術を知る上で重要な土木施設 ・ 遺構であることから、 平成15 (2003) 年8月、 開渠 (かいきょ) 区間約30kmが国の史跡に指定されました。

新堀用水(しんぼりようすい)
 新堀用水は、明治3(1870) 年、 玉川上水の北側にあった8箇所の取水口を統合し、 玉川上水からの分水量を管理するためにつくられた水路です。
 この用水は、ここから約1km上流の小平監視所から玉川上水の水を取り入れ、 西武多摩湖線を横切る地点まで、玉川上水の北側を平行して流れています。
 新堀用水は、 その先で多くの水路に分かれ、現在も周辺住民に親しまれ、潤いをもたらしています。

昭和61(1986)年からは、 東京都の清流復活事業により、 小平監視所から浅間橋までの区間に下水高度処理水が流され、 水辺空間が復活しています。
玉川上水に関する情報は http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/ でご覧いただけます







◆小川橋供養塔







玉川上水側道







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