2024/01/23 八幡神社



 明徳年間(今から約六百十五年前)の御草創と伝うれど御創立の年代詳ならず。古く大成村金子駿河守の知行なりしによりその居城大成城の鎮護として自らの甲の八幡座を鎮め八幡神を勧請して当神社を鎮斎せりとも伝う。近郷士農衆庶の尊崇篤く遠くは宝歴八年十一月社殿を改築、近くは今上天皇皇位御継承大典の年社殿を修理し社務所を新築す。



御由緒の文章は上と同じ



八幡神社 御由緒

□ 歴史
やかた
 創建は社伝によると、明徳年間(一三九〇-九四)のことである。また、後に当地を領した金子駿河守がその居館である大成館の鎮護とするため南方に自らの兜の八幡座の座金物を鎮めて八幡神を勧請したものと伝える。なお、この折、境内地がなかったので、しばらく氏子の村田知之家に八幡神を祀ったといわれる。
 江戸期、別当は『風土記稿』に「八幡社 金乗院持」とある。金乗院は、旧上加村万福寺末の真言宗の寺で、本尊は不動明王である。
 神仏分離は、明治初年に行われ、同三年の『大宮組合神社細詳取調帳』によると、住僧は復飾して中村章因と名乗って神職となり、復飾料として「持添ノ公田五畝十二歩」が与えられている。
 『明細帳』によると、明治四十年に当社すなわち「大成字前原耕地無格社八幡社、同境内社御嶽社、八雲社、天神社、神明熊野琴平合社、稲荷社、琴平社、雷電社」が、大字上加字宮腰に鎮座する氷川社(日進神社)に合祀された。
 しかし、昭和二十七年に氏子の熱望により合祀解除が行われた。この時、宮司は、神輿と共に日進神社に参り、八幡神の御幣束の返却を受け、これを神輿に奉安し、先祓いの後、静々と当社に帰って来た。境内には数多くの行灯が並べられ、氏子たちは恭しくこれを迎え、盛大な還御祭を斎行した。

□ 祭神
誉田別命

□ 祭祀
・元旦祭(一月一日)
・春祭り(四月十五日)
・夏祭り(八月一日)
・秋祭り(九月十五日)






◆御神木「雨乞いの黄楊(つげ)」



社伝によると宝暦乃時代「祭事」として「雨乞い神事」を八幡神社氏子達は毎年夏季に入ると豊作を願い行っていた。
即ちその時代は降雨少なく早魃が多かった為、氏子達は薬で籠を作り龍神様に「雨乞い」をし地域の五穀豊穣を祈願したものである。
時恰も宝暦八年(1758) 八幡神社は大改築の工事を実施中であったが雨乞い神事を実施し降雨をみた為、神社改築工事竣工と雨乞い神事を記念して本黄楊を植樹し現在に至ったものである。
樹齢約二百六十年位と推定される。






庚申塔



庚申塔の由来
この庚申塔は今から約230年前即ち1780年(安英九年庚子歳三月吉祥日)に庚申信仰の象徴として建立されたものです。建立者は村田、柳川、横田、高橋、山崎、平柳、清水、内田、関口、竹野、井上、氏など二十一名の地元有志によって建てられました。高さ1m36cm幅40cmの角柱型です。
礎石には「従是西上野三十丁川越三里道是より東大みや八丁岩「き五りみち是より北原氏二里上尾二里道」と刻まれています。






◆公園

境内の一部は公園になっていた。






◆鳥居






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