2024/02/11 光福寺


『1532年(天文元年)、栄源によって開山された。その後江戸時代初期、宥昶によって中興された。
境内には、大きなイチョウの木があることから「イチョウ寺」と呼ばれている。
また境内の不動堂には、「五分一不動」と呼ばれる不動明王像と「衣更観音」と呼ばれる観音菩薩像が安置されている。この衣更観音は秘仏で、住職一代に一度しか開帳できないことになっており、代替わりの開帳の度に衣の色が変わっていることが名称の由来である。 』
光福寺 (江戸川区) - Wikipedia




 新義真言宗で長松山延命院といい、通称「五分一不動尊」または「いちょう寺」と呼ばれています。天文元年(1532)海成坊が開山し、本尊に春日仏師の作と伝えられる阿弥陀如来坐像がまつられています。中興は宥昶法印で承応3年(1654)に入寂しました。
 境内の不動堂に「五分一不動」と称される不動明王と「衣替観音」と呼ばれる正観世音菩薩がまつられています。
 
紙本着色地獄図
 紙本着色で三幅対の地獄図です。文政13年(1830)に光福寺の什物となりました。江戸時代後期の作と考えられます。十王の一人である閻魔王の「閻魔王庁図」に「往生要集」にのっとった<六道絵>のうち地獄道の「等活地獄図」と「阿鼻地獄図」の二幅を加えた三幅康生になっています。
 図柄には中国宋元画の影響がみられます。






◆不動堂






◆石塔
[今江g






庚申塔






◆石塔






◆梅






◆山門






◆入り口






場所はコチラ