2024/02/11 永福寺


『戦国時代後期、宥賢上人(1568年・永禄11年寂)によって開山された。
当初の名称は「長福寺」であった。ところが1716年(享保元年)、紀州藩の藩主だった徳川吉宗が第8代将軍の位に就き、長男の長福丸(後の第9代将軍徳川家重)が将軍世子となった。将軍世子と同名になってしまったため、幕府に憚って、「長」を「永」に変更し「永福寺」に改称した(避諱)。
当寺の本尊は、行基作とされている阿弥陀如来である。
鐘楼は1983年(昭和58年)に建てられた比較的新しいものである。安土桃山時代の「桃山様式」で建てられている。 』
永福寺 (江戸川区) - Wikipedia



 真言宗豊山派で無量山光明院といいます。本尊は行基作と伝えられる木造阿弥陀如来坐像です。開基年月は不詳ですが、開山の宥賢上人は永禄11年(1568)正月15日に入寂しました。はじめは長福寺と称しましたが、九代将軍家重の幼名長福丸をはばかって永福寺と改称しました。
 寺子屋の生徒を筆子といい、成長した筆子が師匠の菩提を弔うために建てた供養塔や墓石を筆子塚といいます。永福寺の筆子塚は方形の墓石で、頂きには地蔵菩薩立像を載せています。墓石の側面に「諸旦方筆弟子」と刻まれ、頼尊が檀家の子弟の筆道師匠を勤めたことがうかがえます。
 筆道師匠の筆子塚としては区内でも古いものです。頼尊は永福寺住職で明和3年(1766)に入寂しています。







◆石塔







◆鐘楼







◆宝筐院塔







◆梅








◆仁王門







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