2023/07/06 浄輪寺


『同寺は慶長17年(1612年)、江戸城付近にて、毘沙門天を携えた近江国(現在の滋賀県)佐々木氏の末裔により創建された。寛永12年(1635年)に現在地に移転する。
境内には毘沙門堂の他、江戸時代の和算家・関孝和の墓がある(1958年、東京都史跡に指定)。 』
浄輪寺 - Wikipedia





関孝和の墓



 和算を大成した関孝和は、駿河大納言徳川忠長に仕えた内山七兵衛永明の次男として生まれました。出生地や生年は未詳ですが、その後甲府藩士の関五郎左衛門の養子となり、藩主綱豊が六代将軍家宣となったのちは、幕臣として納戸組頭を勤めました。
 孝和は従来の算木を用いた「天元術(てんげんじゅく)」を改良して「点竄術(てんざんじゅく)」と呼ばれる筆算式代数学を創案し、和算が高等数学として確立する礎を築きました。著述には「発微算法」等があり、宝永五年(一七〇八)に没した後は、門人により「括要算法」や「大成算経」等が著され、世に「算聖」と称されました。
現存する二代目の墓石は舟形、高さ一五八センチ、鳳凰丸紋に「法行院殿宗達日心大居士、宝永五戌子年十月二十四日卒」、左側に「姓藤原、諱孝和、称関新助」とあります。








◆山門





◆参道





場所はコチラ